テレ朝・角澤アナが語る、スポーツ実況の内幕(1/5 ページ)

» 2009年07月24日 07時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

 早稲田大学は7月10日、大隈小講堂で大久保建男スポーツジャーナリズム基金による公開フォーラム「スポーツを通じて感じた『伝えるということ』〜アナウンサーの現場から〜」を開催、テレビ朝日アナウンサーの角澤照治氏(38)がスポーツ実況について語った。

 角澤氏は慶應義塾大学卒業後、1993年にテレビ朝日入社。以来17年間、相撲、水泳、サッカーなどスポーツ実況を中心に活動、2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップの実況も担当した。また、1996年〜2004年にはニュースステーションのスポーツキャスターを務め、後番組の報道ステーションでもキャスターとして活躍している。

 今回の講演は、早稲田大学スポーツ産業研究所の平田竹男教授と角澤氏が旧知の間柄であったことから実現。角澤氏はアナウンサーになるまでの過程からスポーツ実況の現場、ニュースステーションのメインキャスターである久米宏氏とのかかわり、アナウンサーになりたい学生へのアドバイスまでを語った。

角澤照治氏。聖光学院中学・高校時代はサッカー部に所属。「自分でやるのは下手だったが、見るのは大好きだった」

憧れのアナウンサーは古舘伊知郎氏

角澤 アナウンサーになったきっかけは、僕が今、くしくも一緒に報道ステーションをやっている古舘伊知郎さんです。古舘さんはもともとテレビ朝日の実況アナウンサーで、金曜20時からの「ワールドプロレスリング」を実況中継していました。古舘さんのプロレス実況を小学生のころから毎週欠かさず見ている中で、アナウンサーというものを漠然と頭の中で知り、憧れとなりました。

 ただ、「アナウンサーになりたい」という意識がずっと続いたわけではありません。大学2年生の終わりから大学3年生の始めのころ、テレビ局の受験に向けて、友人と「専門学校に通おうか」という話になって、早稲田マスコミセミナーに通うことにしました。その時は「アナウンサーになろう」という意識はさらさらなく、小論文講座を受けるつもりでした。しかし、友人が「角澤、これ受けようぜ」と言って手に取った小論文講座のパンフレットの下に、アナウンサー講座のパンフレットがあったのです。そこで古舘さんのことがオーバーラップしたのか、「人前で喋ることもここでちょっと勉強した方がいいかな」と思って、アナウンサー講座で授業を受けることにしたのです。

 しかし実際、翌年の5月に各テレビ局の試験が始まると、自分が想像ができないくらい本格的に勉強してきている人たちがいっぱいいました。テレビ朝日は確か5人1組で面接したのですが、僕の横で受けていた人は「日本中を自転車で回って旅しました」とか「学生時代、●●日本一になりました」とかそういう人ばかりで、「これは縁がない世界だな」と思いました。

 日本テレビもフジテレビも落とされて、TBSも僕は実家がお寺なので「お経をあげてみろ」と言われてお経をあげたのにもかかわらず落とされて、なぜかテレビ朝日だけ不思議と残ってしまいました。最初は何千人と受けているのですが、残るうちにだんだん欲が出てきて、残り50人まできたあたりで「これは受かりたい」と思い始めました。

 残り50人まで来ると、カメラの前でニュースを読んだり、自己PRをしたりといったカメラテストを受けることができます。それをやる時に初めて、古舘さんの実況に憧れたころの自分が出てきました。もともとプロレスや相撲、サッカーが大好きだったので、「これをやりたい」とひたすら言い続けました。若いアナウンサーがちょうどスポーツアナウンサーでいない時だったので結果的に受かったのかなと思うのですが、「何で僕を採用したんですか」というのは17年経った今でも怖くて人事部に聞けません。

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