テレ朝・角澤アナが語る、スポーツ実況の内幕(2/5 ページ)

» 2009年07月24日 07時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

久米宏氏からのアドバイス

角澤 当時のプロデューサーがよくやらせてくれたなと思うのですが、僕のサッカー初実況は入社した1993年の10月、全日本大学サッカー選手権(インカレ)の決勝戦でした。早稲田大学対同志社大学が国立競技場で行われて、そこに出場していた早稲田大学の有名な選手が、もう引退されて評論家になった元日本代表の相馬直樹さんです。その試合のファーストゴールが相馬さんで、僕が実況で最初に「ゴール」と言ったので、相馬さんは自分の中でも非常に印象深いです。

 その後、アマチュアサッカーを中心に実況して、初めて日本代表戦の実況をしたのが1999年のことです。1996年からニュースステーションのスポーツコーナーも担当していたのですが、同時進行でサッカーの実況もしていました。

過去の担当番組(出典:テレビ朝日)

 実況をする時、そのスポーツについての視聴者の知識がそれぞれ異なっているので、「誰に向けて実況するか」ということは本当に難しいです。また、「僕がしたい実況」「テレビ朝日が角澤に喋らせたいと思っている実況」「視聴者の皆さんが聞きたいと思っている実況」も全部違います。その中で「どうしたらいいだろう」と10何年間さんざん悩み続けて、今も悩んでいてまったく答えが出ていないのですが、クサい言い方になるのですが僕は“祖母”に向けて話すようにしています。

 母方の祖母は今年99歳になり、普段は20時くらいに寝るのですが、僕がたまにクイズ番組とかに出ると遅くまで起きてくれたり、報道ステーションに出る場合には22時くらいまで起きてくれたりします。ある意味、ほかの視聴者無視ととらえられてもおかしくないのですが、僕はおばあちゃんに向けて、おばあちゃんが楽しくなるように話しています。それぐらいのつもりでやらないと、自分の中で何かぶれてしまう気がするので。

久米宏氏プライベートサイト

 ニュースステーションのスポーツコーナーを担当することになった時、しばらく久米さんは何のアドバイスもしてくれないし、話しかけてもくれませんでした。1カ月経ちましたが、何にも言われない。2カ月経っても、何にも言われない。半年くらい経った時、久米さんのマネージャーに久米さんの控え室に行くよう言われて、トントンとドアを叩いて入っていったら、久米さんが「ちょっと座って」と言って、「角澤君さあ、何人くらいの前で今スポーツコーナーやっているつもりでいる?」と聞かれたのです。

 僕はそんな質問されてもよく分からないので、「え、何人だろう。100人くらいの規模ですかね」と答えると、久米さんに「今日からお父さんでもいい、お母さんでもいい、恋人でもいい、おばあちゃんでもいい、おじいちゃんでもいい。1人だけの前で喋るつもりでやって。君の喋り方は何万人もの前で喋っているような喋り方に聞こえるよ」と言われたのです。

 久米さんというのは不思議な人、禅問答みたいなことが好きな人で、それからは廊下ですれ違うたびに、「ああ、久米さんだ」と緊張して「お疲れ様です」と言うと、「昨日のは5500人」とか久米さんが言うわけです。それでまた別の日にすれ違うと、「また増えた、7万5000人」とか言われたりしました。久米さんが言ったことというのは、「伝えるべき対象を具体的に置かないと伝えられない」ということだと思います。今、この瞬間も実はそうです。僕がどこに向かって喋っているかというと、この中に「絶対にアナウンサーになりたい」と思っている人が1人くらいいるかなと思っているので、僕は「アナウンサーになりたいな」と思った20年前の自分がその辺に座っていると思って話をしています。

 またある時、久米さんには「何かいまひとつ自分で気持ちをハイにしたいけどできないんです」と相談したこともあります。そうしたら久米さんは、「気持ちは分かるけど、角澤君の心の状態というのは正直見ている人には一切関係ない。見ている人はただ単に明るいスポーツコーナー、今日はこんなことがあった、今日はこんな楽しい出来事があったので、皆さん一緒に楽しみましょうよという空間を待っている」とおっしゃいました。

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