なぜ「東大生はあまりノートを取らない」と言い切れるのか。結論から先に言ってしまえば、本当に東大生がみんなノートを取るなり、まとめ直すなりの習慣が付いていて、それが美しければ、シケ対(試験対策委員会)のような“伝統的官僚機構”はニーズがないので存続し得ない(シケ対については河合塾の用語集(関連リンク)を読んでほしい)。簡単に言ってしまえば、授業の完璧なレジュメ「シケプリ」(試験対策プリント)を学生が分担して作る相互互助システムだ。
さらに言えば、ノートを取るというのはインプットではなくアウトプットの過程なのだから、そんな作業に情熱を傾けるのは、以下に挙げる2タイプの数少ない学生だけだろう。
まず、授業に出ただけで勉強した気になる勉強下手な学生である。もちろん、1から復習しなおすので恐ろしく非効率だが、この手の輩で東大に入るような人々はたいていは異常な勉強時間なので、確かに成績は悪くない。
次に、聞いた瞬間にすべてを理解してしまって、やることがないのでノートを作るという純粋な趣味人である。これら趣味人は、級友の間では「神」とあがめられ、そのシケプリは何年にもわたって「神シケプリ」として出回るというケースもある。
さすが東大生の仕事だけあって、教科書よりも教科書に近いものができあがっていたりすることもある。いずれにせよ、筆者のような凡人が真似をするべき所業ではない(もちろん、シケ対は電子化された完璧に美しい“シケプリ(試験対策プリント)”を作成する。だから、自分に割り振られた科目のノートだけ見れば、確かに「みんな美しい」)。
とはいえ、推測だけでモノを書くのはいただけない。実際のところ、これをきちんと反証しようと東大の駒場キャンパスでシケ対以外のノートを集めようと努力したのだが、試験期間中ということで、あまりにノートの数がそろわない。みんな自分の書いたノートを携帯していないのだ。
“敵”が200も集めたというのに、1クラス分も集められないとはなんとも情けない。仕方がないので調査内容を説明し、意見を求めると「シケプリがあるのに、ノートなんて取るわけないじゃん」、「その場で覚えるために板書がある授業は写すけど、汚いから自分のは見直さないよ」、「比較的ちゃんと書いてる。だけど絶対に漏れがあるから、シケプリがないと話にならない」、「自分で分かればいいんだから、別にキレイに書かなくてもいいんじゃない?」、「ちゃんと取ってるよ。でも、シケ対ではないのでそんなにキレイではない」「おい、森田。この授業、教科書からしか出ないぞ」などなど。
このほか「そろそろ試験だからシケプリ集めに久々に学校に来た」といった意見もあった。
これだけの意見では話にならないので、用事がてら本郷キャンパスに行った。そして運良く数人の学生に話を聞くと、ある法学部の友人がいいことを教えてくれた。
「大体、専門(課程)でレジュメを用意しない先生だと、速すぎてノートを取りながら授業なんて聞いてられないから、ボイスレコーダーを使っている。だけど、聞き直さないことも多いが……」
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