不安と称賛感動のイルカ(1/2 ページ)

“経営の神様”と呼ばれている宮田和弘の「弘和塾」。ここで月1回の勉強会で講演することになった主人公の猪狩浩。師事するコンサルタントの秋田の姿を探すが見当たらず、緊張する浩であった。

» 2010年06月04日 17時51分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

前回までのあらすじ

 ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語である。

 会社をリストラされた主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)。独立して引っ越し屋となったが、なかなか上手くいかない。そんな時、コンサルタントの秋田に出会い、支援を受ける。ついには“経営の神様”と呼ばれている宮田和弘の「弘和塾」の講演に呼ばれるまでになった。


 秋田と出会ったのが、2004年の2月だった。それから、もう3年半以上になるのか。浩は、年月の過ぎ去る速さを感じざるを得なかった。ときどき葉書が来ることがあった。それもくじけそうになるときに限ってだった。どこかで見ていてくれるとしか思えないタイミングだった。

 内容は、ほとんどない。「もうちょっとの辛抱や。これから面白くなる」。だいたいが、このぐらいの長さと内容で、しかも走り書きだった。それでも、浩には十分すぎるほどのありがたい葉書だった。

 2007年9月の大阪。月1回開催する弘和塾の勉強会。150人以上の経営者が列席した会場で、浩は場違いな思いを抱きながら演壇の傍らに控えていた。9月の大阪は、まだ残暑で汗ばむほどだったが、浩は緊張して、少し寒く感じられるくらいだった。

 弘和塾の事務局長から、秋田先生からの推薦なので是非とも受けてほしいと言われた。講演を受けた理由はそれだけだった。直後、秋田に電話した。3年半ぶりに聞く声は少ししわがれていたようだったが、相変わらずの活力を感じた。

 「君がしんどいのに、なんで事業を続けているんか、それを話してくれたらええ」

 「当日、会場でお会いできますか。積もる話もあります」

 「もちろんや。楽しみにしとるで」

 なのに会場には、秋田の姿は見えなかった。心配な気持ちはあったが、緊張でそれどころではなかった。司会役の男性が、すでに浩の略歴を紹介している。もうすぐ、演壇に立たねばならない。ここに及んで、浩はようやく引き受けたことを後悔しはじめていた。「それでは、猪狩社長。よろしくお願いいたします」

 万雷という表現がふさわしい、けたたましい拍手がなった。緊張のあまり浩は、壇上に上がる階段でつまずいてしまった。さすがは大阪である。それがウケて、会場は大笑いとなった。おかげで浩も多少リラックスができた。

 「こんにちは」。浩があいさつすると、いっせいにあいさつが返ってきた。

 「ありがとうございます。今日、お話しさせていただく、アクティブ運送の猪狩浩です」。まだ動悸はするし、声も滑らかに出てこないが、なんとか話はできそうだ。

 「わたしは元来口下手でして、こうやって皆様の前でお話しするなどとんでもないという人間です。また語る内容もない未熟者です。なのになぜか秋田正芳先生がご推薦くださいまして、今この場におります」。秋田の顔が浮んだ。なんだか隣にいてくれているような気になってきた。

 「秋田先生からは、おまえがなんでしんどいのに事業を続けているのかを話せばいいと言われました。おまえぐらいどん底の経営者もいないから、みんな勇気がわくだろうとのことだそうです」。またウケた。大阪だからか弘和塾だからかは分からないが、この場は暖かい。

 「かっこつけていてもしかたがないので、我が社の現状を包み隠さずお話しします。今、我が社は2億円近い赤字を出しています。完全な債務超過で、銀行にはすでに借り入れをお願いできる状態ではありません。お願いできることは、支払いのスケジュールの見直しだけです」

 うちもそうやあ、という声が飛び、またしても会場は笑いに包まれた。調子が出てきた。「相当にやりがいがある状態です。なんでこんな状態になったかというと今年に入ってからずっと不幸続きだったからです」

 浩は今年に入ってから、引越自体が減っていることや、オープンしたばかりの営業所が水害にあったことなどを話した。「わたしは、この不幸を自分の不徳の致すところとは思っておりません。どこまで耐えられるのかを天に試されているのだと解釈しています」

 一部で拍手が鳴った。それがあっという間に広がった。「ありがとうございます。人間、自分に耐えられない不幸は決してないと、秋田先生が教えてくれました。それだけを支えに頑張っています」

 浩は会場を目で探したが、やはり秋田はいないようだった。その後、浩は、自分の生い立ち、不良だった高校時代、東京に出てきて社会人になってからの足跡を語った。三善啓太、田所牧絵、中野兄弟など、お世話になった人たちの顔が次々と浮んできた。不思議なことに自分を裏切ったり、損をさせたりした連中の顔はぼやけていた。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ