「本当の限界まで考えろ、考えろ、考えろ」なんて外からいくら指示命令したところで効果はあまり期待できません。頭のエンジンの自主規制を突破するキーワード、それは
です。
要するに、人間は何かを考えることに「熱中」すると、自然にその自主規制を外すのです。その結果、普通ではありえないレベルの「本当の限界」まで「アタマをブン回す」感覚をつかむことができます。
この「熱中」状態を教師が「指示」して作り出すことはできません。できるのは、「刺激」することと、「邪魔しない」ことです。
それがどんなことなのか、これも実例を書きましょう。
例えば私は小学校の4年生ぐらいで将棋を覚えて、すぐに校内では敵無しになりました。その時私は詰め将棋を解くのに熱中していたものですが、その時にあった「刺激」は例えば「詰め将棋の本をもらったり買ったりしたこと」です。やはりそういう「焦点を当てる対象」がないと「熱中」状態は起きませんので、そのための材料を用意することは、「教える側」の人間の責任でやらなければならないし、それで少なくともある程度は可能です。
また、その材料があったとして「安易に答えを教えない」ことも大事です。「熱中」の水準が上がっていないうちに答えを教えてしまうと、上がりかけた熱を冷ます恐れが高いためです。(想像もつかない答えだったのでそれが「刺激」になる、といった効果もないとは言いませんが)
もうひとつの例があります。高校2年の時に私は演劇部のために舞台脚本を書いて、1本目がボツになり、あらためて書いた2本目が好評でOKが出たことがありました。実はその2本目を書く前に、1本目を読んだ演劇部顧問の先生が私に言った言葉が良かったんですね。
実を言うとそれだけです。技術的な指導は一切なし。ところがこの一言が私には大いに刺激になりました。実は自分でも気がついていたんですが、この一言が1本目のボツ作品のダメな理由の象徴であると同時に、当時私が持っていた「自主規制」そのものだったわけです。それに気がつき、「あ、なるほど、じゃあもう遠慮いらないのね」と感じた私は2本目を書くことができました。この時は今思っても何かに取りつかれたように書いていたものです。
そういう的確な刺激をくれた顧問の先生はしかし、それ以外の例えば技術的な指導はまったく何も言いませんでした。もしそれがあったら「邪魔」になっていた可能性が高いです。
もちろん、「技術的な指導」が一切いけないということではありません。それが必要な場面は当然あります。ただ、「教える」仕事をしていると、「教えること」=「手取り足取り指導すること」だと思いこんでひたすら「指導」を重ねすぎ、かえって学習者がテンションを上げる邪魔をしているケースも多々あることには注意が必要です。何事も適切なタイミングを計って行わなければいけないわけです。
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