ネットが“パンドラの箱”を開けた……テロの歴史とメディアの関係烏賀陽弘道の時事日想(1/4 ページ)

» 2015年02月19日 08時15分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:

 フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。


 過激派組織「イスラム国」(「国家ではない」「イスラム教がテロ行為を肯定しているように聞こえる」という批判があるのでISILと記す)が日本人の人質2人を殺してしまった。紛争地で日本人が誘拐され人質になったり、暗殺や処刑されたりする事件はこれまでもあった。ISILがこれまでの武装組織とまったく違うと私が感じるのは、そのマスメディアの使い方である。あえて名付ければISILは「インターネット時代の武装組織」の特徴が強い。今回はそんな話をしよう。

「情報戦」の一面を持つ

 新聞・テレビといった旧来型マスメディアの全盛期である1970〜1980年代ごろ「マスコミの取材を引きつけること」はテロの重要な目的の1つだった。もちろん最終的なゴールは、敵国・敵陣陣営が捕らえた仲間の釈放だったり、占領した領土からの撤退だったり、政治的な目標の実現だった。が、そのため実現のためには相手に揺さぶりをかける必要がある。

 また敵国・陣営だけでなく、関係している国にもニュースが届かなくてはならない。マスコミの取材、特にリアルタイムで映像を全世界に流すことができるテレビは重要だった。そして、自分が訴えたい主義主張や思想、注目を集めない問題に世界の目を引きつける意味もある。

 1972年9月5日、旧西ドイツのミュンヘンでパレスチナ武装組織「黒い九月」がオリンピックのイスラエル選手宿舎を襲撃して選手11人(コーチを含む)を人質にした事件はその有名な例である。なぜオリンピックを狙ったかといえば、ゲーム取材で世界のマスコミ取材陣が集まっていたからだ。

 狙い通り、事件は人質全員が殺されるという最悪の結末まですべてがテレビ中継された。それまで大きな注目を集めなかった「パレスチナ問題」がマスコミに取り上げられ、世界が関心を持つきっかけになった。実行犯5人も死んだが「パレスチナ問題を世界に認知させる」という目的は達したといえるだろう。

 もし「戦闘に勝つ」ことが武力行使の目的なら、軍事施設や兵士を攻撃すればよい。イスラエルのスポーツ選手を11人殺しても、イスラエルの兵力や武力を減じることはない。しかしテロはそういう戦術は取らない。同じ武力行使でも、テロと通常の戦争が大きく違うのは、元々テロは「国際世論の注意や関心をひきつけ、撹乱(かくらん)し、敵を不利に陥れる」という「情報戦」の一面を持っていることだ。

武装組織「ISIL」が日本人の人質2人を殺した(出典:YouTube)
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