ネット上で、日本人が“残念”であり続ける4つの壁烏賀陽弘道の時事日想(1/5 ページ)

» 2015年01月08日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:

 フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。


 Facebookを使い始めたのは2010年春ごろである。日本ではほとんど知られていなかった。米国を出張で回って、いかに普及しているか知ったのがきっかけだった。そのときからずっと心がけているのは「英語で書く」ということだ。米国の大学院留学時代(1992〜1994年)の世界中に散らばったフレンドと連絡を再開したかったから、ということもある。

 それから5年が経って、フレンドは世界中に4500人に増えた。今でも「今日はお正月休み。会社員時代の仕事仲間と十年ぶりに焼き肉を食いました」というような身辺雑記でも、英語で書くようにしている。そのほうが世界にいる「フレンド」に日本人の日常生活が分かってもらえるかもしれないと思ったからだ。スレッドの会話が日本語ばかりになっても、英語を使うフレンドが登場すれば英語で返答する。

 ある日、気づいた。スレッドの発言に英語が増えると、日本人はほとんど沈黙してしまうのである。英語にスイッチして発言を続ける人はまれだ。逆に、日本語の発言が増えると、英語圏の人たちが沈黙してしまう。会話というか、意見や発言のやり取りが成立しないのである。

 2000年代にインターネットが普及したころに喧伝(けんでん)された「ユートピア像」は「ネットは国境や文化を越えるグローバル・コミュニケーションツールである」だった。しかし、これは幻想であることがはっきりしてきた。言語の壁は最後まで残るのである。あるいは、英語を使える人に限っては、このユートピアは現実になりつつある。ネット世界のデファクト共通語が英語だからだ。

 私はFacebook上で毎日これを実感している。英語で発言していると、米国、英国、オーストラリアといった英語を母国語とする人々だけでなく、フランス、ドイツ、イタリア、ポーランド、オランダといった欧州人、インド、中国、韓国、インドネシア、タイといったアジア人、アラブ人、アフリカ人と世界中の人が会話に参加してくる。いろいろな視点、考え方、文化、発想が私のPCの画面に流れ込んでくる。

言語の壁は最後まで残る……
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