職業「プラントハンター」――名前は、西畠清順(にしはた・せいじゅん)。彼は日本だけではなく、世界各地のあらゆるところを駆けずり回り、依頼のあった植物を見つけ出し、それを必ず届けるのだ。
ん? プラントハンターってナニ? と思われる人も多いかもしれない。プラントハンターとは、17世紀から20世紀初頭にかけて、欧州で活躍してきた人たちのこと。王族や貴族のために、世界中の珍しい植物を求めて冒険し、現地でしか採れない花の苗や種を持ち帰っていたのだ。
落ちたら命はない。地元の人も絶対に近づかない断崖絶壁であっても、そこにしかない花あれば必ず手にする。ジャングルの中で無数の蚊に襲われようとも、ヒルに大量の血を吸われようとも、依頼のあった花は必ず持ち帰る。
危険と隣り合わせな仕事だが、彼はなぜ花を採り続けるのか。あまり知られていないプラントハンターの世界を紹介する。聞き手は、Business Media 誠編集部の土肥義則。
→職業「プラントハンター」――なぜこの男は命を懸けて花を採り続けるのか(前編)
1980年生まれ。明治元年より150年続く、花と植木の卸問屋「株式会社 花宇」の5代目。
日本全国・世界数十カ国を旅し、収集・生産している植物は数千種類。日々集める植物素材で、ランドスケープ・室内緑化・フラワーデザイン・いけばななど国内はもとより海外からのプロジェクトも含め年間2000件 を超える案件に応えている。
2012年1月 ひとの心に植物を植える活動である、“そら植物園”をスタート。さまざまな企業・団体・個人と植物を使ったプロジェクトを多数進行中。
土肥: 清順さんは日本では珍しい「プラントハンター」という仕事をされているわけですが、どういったきっかけで「花の魔力」に取りつかれたのでしょうか?
清順: オレが初めてプラントハンティングをしたのは、21歳のとき。父に「とにかく海外で遊んでこい」と言われたので、オーストラリアで留学していました。英語のスキルを磨きつつ、父の言葉を忠実に守って日々遊びに明け暮れていました。野球、格闘技、サーフィン、音楽……もう毎日がパーティのような生活。
「花なんてどーでもええ。なにがおもろいねん。かもてられへん」といった感じでした(笑)。
土肥: あれ? 花は?
清順: ボルネオ島に遊びに行って、ついでに東アジアの最高峰「キナバル山」(標高4095メートル)に登ろうかなと思っていました。そんな軽い気持ちでいたときに、日本にいる父から「キナバル山の奥に秘境があってな、そこにおもろい花がたくさん生えてるから探してこい」と言われたんですよ。
父は植物卸問屋「花宇(はなう)」の4代目。当然、世界中の植物に詳しいわけですが、当時のオレは「おもろい花」よりも「秘境」という言葉に興味を持ったんですよ。
父が「探してこい」と言ったのは「ネペンセス・ラジャ」(和名:オオウツボカズラ)。食虫植物の王様で、大きいモノになるとネズミも食べる。そんなことを聞くと、こちらとしてはますます「秘境っぽくて、おもしろそうやん」と期待が高まってくるわけですよ。
で、キナバル山を登り始めるのですが、ものすごく大変でした。山は赤道直下にあるので、登り始めたときの気候は熱帯雨林なんですが、標高が高いのでどんどん登っていくと、亜熱帯になって、温帯になって、亜寒帯になって……といった感じで、ひとつの山で地球上の気候を体験できるわけですよ。
10時間かけて山頂手前の小屋に着いたときには、もうヘトヘト。なんとか頂上に登り一息ついたのち、下山することになりました。その途中に、「ネペンセス・ラジャ」を発見することができたんですよ。
雲の上で、食虫植物の王様を手にしたとき、自分の中でなにかが「パーン」と弾けました。「植物ってオレが考えてるよりも、もっとスゴいんとちゃうか」と、そのとき初めて花の魅力に取りつかれました。そして、日本に帰国して「花宇」に入社しました。
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