学校は生徒の教育のために、病院は患者の治療のために、国会は国民の生活向上ために存在する。世間の常識はそうだ。だが、わずか数メートルの距離にいた談志師匠は、凝り固まった世間の常識を一刀両断した。
あのとき受けた衝撃から20年以上が経過した。昨今の世情を見渡すと、談志師匠の言葉が改めてすごみを持っていたことに気付く。
新聞やテレビの報道をみると、日々政府や企業の不祥事が伝えられている。予算の不正流用、消費者を欺(あざむ)く違法行為など、枚挙にいとまがない。
もう一度、談志師匠の言葉を読み返してほしい。政府や政治家、あるいは大企業の固有名詞をそれぞれ先の言葉に当てはめてみると、ピタリと符合するから不思議だ。
要するに、政治家は国民を向いておらず、企業も消費者ではなく、自分の利益のために動いていると言い換えることもできる。
当時の自分の身に置き換えてみると、合点がいった。駆け出し記者時代、何度もデスクに記事の書き直しを命じられ、私は腐っていた。そこで取った行動は、こうだった。
デスクの出番表を入手し、“話が分かる”デスクが出勤している時間帯を狙って出稿していたのだ。
今考えると、空恐ろしい。要するに、駆け出し記者時代の私は、読者のためではなく、自分の都合、さらに言えば、自分の稚拙さを修正してくれるデスクを避け、適当に原稿を校了してくれるデスクに腹を向けて仕事をしていたからだ。
新聞やテレビなど、大手と呼ばれるマスコミの大義名分は、読者や視聴者のためにニュースを伝えること。だが、内実は、他社を蹴落とし、取材対象者に迷惑をかけてまでスクープを取りに行くのだ。先の格言に照らせば、マスコミはマスコミ内部の評判や名誉のために仕事をしている、ということになる。
本稿読者の若いビジネスパーソンはどうか。
小うるさい上司を避け、適当にハンコを押してくれる上司にばかり報告を入れていないか。残業を早めに切り上げたいがために、顧客のクレーム処理を後回しにしていないだろうか。
こうした事態が積もり積もって、先の談志師匠のように「学校は教師のために、病院は医者のために、国会は議員のためにある」ということになるのではないか。
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