窓ガラスの汚い鉄道は潰れる、かも杉山淳一の時事日想(1/5 ページ)

» 2012年12月21日 08時02分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP、誠Styleで「杉山淳一の +R Style」を連載している。


 鉄道趣味のひとつに「葬式鉄」がある。廃止となる予定の路線や列車を訪れ、名残を惜しむ行為だ。本来の「葬式」は亡くなったあとに行われる。だから存命中の鉄道路線や列車に乗る行為に「葬式鉄」という言葉はふさわしくない。「臨終鉄」が正しいかもしれない。しかし「葬式鉄」に参加する鉄道ファンは、廃止されると聞くと、ふだんは見向きもしなかった路線や列車を訪れて、運行最終日はお祭り状態になる。「葬式鉄」は、そんな滑稽な様子を「葬式」という忌み言葉でからかっているわけだ。

 実は私も「葬式鉄」をやる。日本の鉄道の全路線を踏破する旅を続けているから、ある路線が廃止されると聞けば、廃止される前に乗りたい。冷静に考えると、乗っていない路線が廃止されたら、全路線の踏破率は上がるわけで乗らなくてもいい。しかし、未踏の路線には乗りたい。だから廃止の噂を聞くとソワソワする。そんな物見遊山の「葬式鉄」に対して、鉄道の運行に関わる人々や沿線の人々は複雑な心境だろう。特に、鉄道関係者の気持ちは荒んでいくに違いない。

 「葬式鉄」の出現以前に、事業解散が決まった会社や倒産間近の会社で働く人たちは、目の前の仕事に対して意欲を持ちにくい。まだ廃止が決まっていなくても、このままでは廃止という気分になれば、やはり気力を維持しにくいと思う。そんな現場職員の「気力のなさ」を「葬式鉄」は嗅ぎ取る。だから廃止が決まっていなくても、そろそろこの路線は終わるな……と思い、その気持ちがブログやTwitterで広まっていく。

       1|2|3|4|5 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.