経済成長が無理なら、流動性を!ちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2012年07月23日 08時00分 公開
[ちきりんChikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2010年9月22日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 Business Media 誠で2010年に行った赤木智弘さんとの対談。その準備のためにいくつか本を読み、そこからいろいろ考えて「システムの中でどう生きるか? 4つの働き方の違い」「日本の労働市場に不足しているモノとは?」というエントリを書きましたが、最初に読んだ本が赤木さんの『若者を見殺しにする国』です。

 対談でも話しましたが“書き手の怒り”が伝わってくる文章で、ちきりんもこんな感じの文章を書きたいと思いました。

 この本の副題は「私を戦争に向かわせるものは何か」となっています。元になる論文「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(『論座』2007年1月号)を受けたもので、センセーショナルなタイトルが話題を呼びました。

 「希望は戦争」……その意味するところは、ちきりん的に解釈すれば次図のような感じです。

 左上のボックス。戦後の焼け野原から始まった日本の経済復興は、当初「ぐちゃぐちゃな経済成長」を始めます。既存の秩序は崩壊して存在せず、一流大学を出た人ではなく、闇市でうまく立ち回った人が財をなす世界であり、東京の名家に生まれた二世ではなく、田舎から1人で東京にでてきた一匹狼の少年が「財界のドン」と呼ばれるまでにのし上がれる世界でした。

 急速に経済が復興する中で、流動性の高い、極めてダイナミックな、ひと言で言えば“固まっていない社会”だったのです。

 故田中角栄氏のように、地方の貧しい家庭から高等教育さえ受けないままに歴史に残る宰相が生まれ、丁稚だった故松下幸之助氏が国民的企業である“ナショナル”を育て上げ、低学歴で職を転々としていた根暗な青年が、日本を代表する社会派作家の松本清張となった、そういう時代です。

 第2段階は、高度経済成長が続き、最後の仕上げの1980年代に突入するころまでの日本です。経済は順調に成長を続けますが、その中で「社会の流動性」は急速に低下し、左上から左下のボックスに移ります。

 良くも悪くも、豊かな社会は“秩序”を求めます。高卒の初任給はいくらで大卒ならいくら、何年勤めて評価がトップ10%に入っていれば係長になるとか、うちの会社はこれらの大学からのみ採用します、といったルールができてきます。そうなってくると、一発逆転や「最初はいまいちだったけど、だんだん成功して……」みたいなことが起こりにくくなります。

 さらに、制度的な秩序によって上位の席を得た人が、自分の席を守る目的で、その秩序をより強固なものにしようと画策し始めます。いわゆる既得権益を固守するための動きが起こり、それが社会の流動性をさらに押し下げます。

 “逆転”が難しくなると、誰も彼もが「最初から失敗しないように、準備をして人生を進めよう。冒険なんてしてたらだめだ。回り道なんてしていたら取り返しの付かないことになる」と考え始めます。

 小さいころから塾に行き、良い学校に進んで良い会社に入って、何があってもそこにしがみつけ、となるわけです。流動性の低い社会では、途中でのやり直しが不可能なため、誰も冒険をしなくなるのです。

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