今日が人生最後の日だとしたら? “人生の有限感”が生き方を変えるちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2012年06月18日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2010年8月4日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


『人生論』

 元ライブドア社長の堀江貴文氏の著書『人生論』を読みました。彼の生き方、考え方の基本がよく分かる面白い本でした。特に最初の方に「小さいころに突然、人はいつか死ぬんだと意識した」とあったのが印象的でした。起業家の人でコレを言う人、多いですよね。

 故スティーブ・ジョブズ氏も突然の重病で余命を宣言されてから神がかってきましたし、ソフトバンクの孫正義氏も若いころ、起業した直後に大病で入院しています。楽天の三木谷浩史氏は故郷の神戸で大震災があったことで、「人間、いつ死ぬか分からない」と感じ、大企業を退職して起業したとインタビューでおっしゃっていました。

 堀江氏の場合は特にそういう経験はなく、突然“死”という概念が降りてきて……ということらしく、珍しいケースかもしれないと感じました。

 この“人生の有限感”を手に入れると、人は生き方が変わります。尋常じゃないレベルの働き方をしている人、自分のやりたいことに迷いのない人、徹底的にしがらみから遠い人、の話を聞いてみると、人生の有限感を持っている人がとても多いのです。

 逆説的な言い方ですが、彼らは不安を持ちません。普通の人は不安をあれこれ想定して、やたらと人生に保険をかけます。例えば、「こんなことをやったら収入がなくなるのではないか」「こんなことをやったら友達に嫌われるのではないか」など。

 これらの不安のためにアクセルを全開にせず、常にブレーキに足をかけて人生というクルマを運転する。進みたい道があっても、よく分からない道、先人の地図に載っていない道には足を踏み入れない。なぜなら危ないかもしれないから……。

 そんな感じで、普通の人が不安におびえるのは、本当の不安を知らないからでしょう。本当の不安とは「人生が終わる瞬間が、明日にもやってくるかもしれない」ということです。

 それに比べれば、それ以外の不安など質的にまったく及ばないところにあります。だから、死の意識や人生の有限感のある人は、それ以外の細かい不安におびえなくなる。何が大事かが分かってくるんです。

 世の中には小さなころから命に関わる病気や障害を抱えて生きている人もいます。そういう子どもたちは、風邪やねんざくらいしか知らずに育つ大半の子どもに比べると、極めて早い時期に“死”というものを意識するのではないでしょうか。そして彼らの人生観は(彼らがそれを外に出すかどうかは別として)そうでない人に比べて、圧倒的に成熟しているのではないかと想像します。

 人が人生の有限感を得るきっかけはさまざまです。自分の大病、ごく身近な人の死、自分が巻き込まれても不思議ではなかった大惨事、加齢(親の死んだ年齢を超えるなど)……。今回、『人生論』を読んで「そうなんだー」と思ったのは、「そういうきっかけがなくても死を意識する人もいるんだ、しかも小さいころに……」ということでした。それって結構すごいことだと思ったのです。外的な理由が無くても、自分の中でそれを理解したということですから。

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