旧警戒区域の内側は今、どうなっているのか相場英雄の時事日想・南相馬編(1)(1/4 ページ)

» 2012年05月24日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)、『震える牛』(小学館)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo


 5月12日、私は福島県南相馬市を訪れた。昨年の東日本大震災による津波で甚大な被害を受けたうえ、東京電力福島第一原子力発電所事故で多くの住民が避難を余儀なくさせられた地域だ。4月16日、同市の約3分の1に当たる地域が該当していた原発から20キロの「警戒区域」の規制が解除され、許可証を持たない人間でも立ち入りが可能になった。そこには、1年前、宮城県や岩手県の沿岸地域で見た生々しい傷跡がそのまま残されていた。

動機

 今回、20キロの旧警戒区域に行こうと考えた動機は2つ。1つ目は、現在改稿作業中の長編小説に福島第一原発事故の要素を盛り込むことになり、どうしても現地を自分の目で確かめたかったこと。

 もう1つは、昨年6月に同市から私の故郷である新潟県三条市に避難された方々と接したことがある。彼らと話したのはわずかな時間だったが、故郷と縁のできた人達の地元を少しでも知りたいと考えたことがきっかけだ(関連記事)

 5月12日、私は自家用車を駆り、福島市から飯舘村を経て南相馬市に入った。福島県を中通りから浜通りへと横断し、今度は南相馬市原町区から浜通りを縦に貫く国道6号線を南下する行程だ。

 原町区は福島第一原発から30キロ圏内だ。子どもたちが自転車で走り回り、主婦が幼児の手を引いて買い物に向かうごくごく当たり前の日常があった。

 しかし、同区に至るまでは何台もの警察車両とすれ違った。特に、神奈川県警や栃木県警など他県の車両が目立った。

 宮城や岩手の沿岸地域でも他県の警察車両と頻繁に遭遇した。地元の福島県警だけでは警備や警ら活動が追いつかないためだ。宮城・岩手では他県からの応援部隊が引き上げているだけに、浜通りが依然“非常時”であることを痛感した。

 また、原町区のあちこちには仮設住宅があり、従来通り普通の生活を送る市民と、避難生活を余儀なくされている市民が隣り合う状態が続いている。政府が引いた“20キロ”という線が、多くの地元民の生活を激変させたことを、原町区を走りながら痛感することになった。

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