日本の労働市場に不足しているモノとは?ちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2012年05月14日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2010年9月17日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 前回、考察した4つの働き方。次図のような4つの働き方が固定化しつつあると書きましたが、その流れの方向で進むとすればどのようなことが問題となってくるのでしょうか。いくつかの論点をピックアップしてみました。

 →「システムの中でどう生きるか? 4つの働き方の違い

論点1:(1)の人の国際競争力

 日本の(1)は、数も少ないしグローバルに戦う力もまだまだです。語学力、多様な経験、ITスキル、リーダーシップ体験、イニシアティブなど、世界でリーダーになるために必須な要件が何一つなくても、日本では一流大学に入れるし、一流企業に入れてしまうからです。

 強い(1)を生み出すには、できる人への税金による教育支援(留学を必須にするなど)や、エリート教育の復活も必要です。しかし、平等神話に侵された日本では、危機感はあれど、これが優先的課題であるというコンセンサスは形成されないでしょう。

論点2:(2)的な専門知識の偏重

 日本は(2)的な職業への尊敬度が大き過ぎます。“専門家”を偏重しすぎ、多くの人が「広く浅く」より「狭く深く」のほうが価値があると思い込んでいます。この根底には、職人文化があるのかもしれません。よく言われる「息子は医者か弁護士に」という言葉も、日本人の専門家好きを表しています。

 この感覚が「多様な経験を積みながら育っていく」という複線的キャリアの価値を認めず、「1つの会社で、1つの仕事だけを突き詰めた人」を“より正しく好ましい人”と位置付ける価値観にもつながっています。

 日本で今一番足りないのは“総理大臣”や“経営者”ができる人であって、“技術だけは一流”の人でも“財務のプロ”でもありません。

 専門知識への偏重度合いが強すぎて、「総理大臣は、どういう資質や適性が必要なポジションなのか?」さえ話し合われることのない社会になってしまっているのが問題なのです。

論点3:(3)の人を(2)にするための教育方法の不備

 「オレの背中を見て育て」とか、「自分たちも20年は下積みをしたんだから、お前も20年下積みをしろ」など、非科学的(精神論的)すぎる育て方が、日本ではいまだに主流です。「効率的に学ぶ」ことが「苦労して学ぶ」より価値がないと思ってる人は、さっさと引退してほしいところです。

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