ボランティアは夏までは多かったものの、徐々に減ってきている。「もう要らないというムードがある」と安田さん。しかし、ボランティアはまだ不足している。そのため、個人も団体もまだ受け付けている(11月からは火曜日が休み)。
「雪が降るまでに、どうメドをつけるか」
安田さん自身も震災直後に、市役所の屋上に逃げた。そして、一緒に逃げてきた人が、ふと後ろを向くともういなかったという。辺り一面は海面のようだった。
「なかなか動かない行政を批判するのは簡単です。批判するのなら一緒にやりましょう。新しいものを作っていくというイメージでやらないとうまくいかない。私は生き残った者としてやれることをやるだけです」
「大切な人を亡くした」という意味では、南三陸町社会福祉協議会の猪俣隆弘さんもその1人。猪又さんは、町職員の妻、美智恵さんが行方不明だ。そんな心の動揺があってもおかしくない時期の3月26日、町災害ボランティアセンターの立ち上げに関わった。
「16メートルの津波が来るなんて、誰も思っていませんでしたよ。当初は通信手段もなく、1万人が行方不明とされていたんです。電気もガスも水道もない。情報収集はなに一つできなかった。妻を捜さなかったのは後悔しています。ただ、妻は分かってくれる。町の職員ですから」
4月当初、私が南三陸町を訪れた時には、携帯電話がほとんど入らなかった。町役場も一般電話も携帯電話もなく、衛星携帯電話を導入したばかりだった。それだけ通信手段が限られていた。
しかも、高齢化率は震災前で30%だ。震災後は、若い人たちが町を出て行き、それ以上の高齢化率になる可能性がある。そのため、ボランティアが必要となる。リピーターは多く、長期のボランティアはオレンジのビブスを付けている。初めてのボランティアは黄色のビブスだ。
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