ソニーの失敗、ベネチアンの成功に学べ――カジノ成功には何が必要なのか(1/5 ページ)

» 2011年10月07日 11時30分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]
ロケーション・エンタテインメント研究協議会会長の北谷賢司氏

 民主党、自民党、公明党などの超党派議員連盟が国会に提出する方向で調整している「カジノ区域整備推進法案」。停滞する国内景気を刺激するだけでなく、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故で遠のいている外国人観光客を呼び込む起爆剤としての役割が期待されている。

 こうした動きに対応し、K.I.T.虎ノ門大学院では9月30日に「ロケーション・エンタテインメント研究協議会」を設立した。ロケーション・エンタテインメントとは、ディズニーによるフロリダでの大規模開発を原点とし、現在ではカジノを基軸に、ホテルや商業施設、コンベンション会場、エンタテインメント会場などの施設を、街づくりや都市環境と調和する形で複合的に開発する際の呼称として用いられているもの。協議会では、日本におけるロケーション・エンタテインメントの成功に必要な学術的研究を行っていくという。

 協議会発足に当たって9月30日に行われたセミナーでは、会長の北谷賢司K.I.T.虎ノ門大学院教授が「ロケーション・エンタテインメント ヒットラーからカジノまで」と題して、ロケーション・エンタテインメントビジネスの歴史と成功の条件について解説した。

ルーツはアドルフ・ヒトラー

北谷 私からは、ロケーション・エンタテインメントというコンセプトがどこから出てきていて、どういう形で現在に至っているかというお話をさせていただければと思っています。

 「ロケーション・エンタテインメント ヒットラーからカジノまで」と題しましたが、ナチスドイツの時代にアドルフ・ヒトラーが現在のロケーション・エンタテインメントのコンセプトをすでに考えていました。

 ナチスドイツのパフォーマンスやポリティカルプロパガンダなどは、まず施設を作って、その中にエンタテインメントを融合させて、メッセージを送るというものでした。ナチスドイツの興隆を分析すると、現在のエンタテインメント複合施設のルーツを見ることができます。

 ヒットラーは1933年にゲルマン世界首都構想というものを作り上げていました。実際は第二次世界大戦が始まったので、最終的にベルリンの都市改革はできませんでしたが、アルバート・シュペーアという著名なナチスドイツのリードアーキテクトが作ったこのゲルマン世界首都構想を見ると、中央に大きなドームを作るというものがありました。フォルクスハレと呼ばれるこのドームは、銅でできていて東京ドームの約4倍の規模の複合的なエンタテインメント施設です。もしできていれば、恐らく現在、世界の歴史にその名をとどめていたと思います。

ゲルマン世界首都構想

 ヒットラーの構想には、エンタテインメントをポリティカルプロパガンダに織り込むということが明らかに含まれていました。1936年のベルリンオリンピックの写真を見ると、エンタテインメントとスポーツ、さらには施設というものを融合させた形で人の心に訴える、何らかのメッセージを届けるということに努めていた、それも計算した上で努めていたということがはっきりと読み取れます。

 ベルリン・オリンピックを記録した有名な映画『オリンピア』のポスターをご覧になっていただくと、ゲルマン人の誇りと思われる3人の女性がこういう風に堂々と登場しているということから、ヒットラーの人の心を動かすためのビジョンに触れることができると思います。

『オリンピア』
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