伊沢さんは、糞土師活動を通じて、日本社会や日本人のライフスタイルがどのように変わってほしいと願っているのだろうか? 多くの人にとって、明日から野糞を実践するのは現実的ではないし、それを伊沢さん自身が望んでいるとも思わない。
「排せつ物とか病気とか死というものを、“穢れ(けがれ)”として、人の目につかないところへと追いやっているのが現代の人間です。そして、過剰なまでの清潔志向&利便性志向によって、人間は、自然界に生きる生物としての生命力を失ってしまいました。現代病と呼ばれるものの多くは、そうした生命力の衰微の結果、生まれたものといえます。私は、長期的には、人間が本来有していた生命力を回復させたいと思っています。そこに向けて、まずは、次の諸点について、皆さんに“気づき”を得てほしいのです。
そして、伊沢さんは、こう言い切った。「これからの環境問題のキーワードは、『分解』と、『責任』だと思いますよ」
そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。そのとき、私はふと思った。これまでの漁業の常識を一変させたと言われる「森は海の恋人」というコンセプトもまた、こうしたキーワードから生まれたのかもしれないと。
今年(2010年)の春、私は都内で行われた気仙沼の漁師・畠山重篤さん(1943年〜、現在・京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授)のセミナーに出席させていただいた。畠山教授は県立気仙沼水産高校を卒業後、地元で牡蠣の養殖に携わっていたが、日本近海の漁業の不振、磯焼けなどの問題の原因を調べるうちに、あることに気づく。
それは、海に流れ込む川の流域の雑木林の土壌から流出する栄養成分によって、海が豊穣になり得るのだということだった。雑木林の土中の“分解”作用こそが、鍵を握っているということだ。しかし日本では、雑木林の多くが宅地造成で失われ、あるいは、杉やヒノキといった有用林に転換されたあげく、放置され荒廃してしまった。そのため、海は本来の力を失ってしまったのだ。
この事実に気がついた教授は、雑木林を復活させるべく植林活動を展開し、現在に至っている。「森は海の恋人」という有名なキャッチフレーズは、ここから生まれたものだ。
そして、同教授はこうも言う。「森に木を植えることは、人の心に木を植えることと同じ。環境問題は、結局は、個人の生き方の問題」だと。※
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