そこには、思わぬ落とし穴があった。宗教的、あるいは倫理的側面からの根強い抵抗だ。中絶に反対する人々が、胚性幹細胞の使用に強硬に反対したのである。2000年の大統領選挙で辛勝したジョージ・W・ブッシュもまたそうした反対論者であった。
胎児の生きる権利を主張することが、もともと廃棄されていた細胞を上記研究に有効活用することを認めないと主張することにどうして結びつくのか、日本人にはきわめて分かりにくい。それはマイケル・J・フォックス財団の人々にとっても、まったく理解に苦しむことだった。「ブッシュの属する共和党の中絶反対派議員たちでさえ、この胚性幹細胞研究を支持しているのになぜ……?」それがマイケルたちの思いであった。
2006年、胚性幹細胞研究促進法案が米国議会の上下両院で可決された。しかしこのとき、ブッシュ大統領は拒否権を発動して、これを廃案へと追い込んでしまったのである。ブッシュの大統領就任によって、米国におけるパーキンソン病をはじめとする難病研究が大きく遅れたとされる所以(ゆえん)である。
財団設立から10年。その間、マイケル・J・フォックスは、パーキンソン病患者の代表として、じわじわと進行する病と戦いながら、米国全土で精力的に活動してきた。
マイケルは、財団の活動と政治的なコミットメントとを明確に分けて活動したようだ。政治的な活動はあくまでも個人の立場に立ち、2006年の中間選挙では、胚性幹細胞研究促進に貢献すると思われた候補者に対して、党派を超えた積極的な応援を展開した。
その一方で財団としては、財界で活躍してきた財団幹部たちの人脈を生かして、毎年全国各地で寄付金を募るパーティを開催し、実に2億ドル以上の研究資金を調達。同国のパーキンソン病研究分野において、民間ではトップランクに位置づけられる財団に成長していた。
しかしそれでも「10年以内にパーキンソン病の治癒方法を見つけること」という財団の目標を実現することはできなかった。パーキンソン病の治癒には、胚性幹細胞研究以外に方法はない、という前提に立つならば、大きな原因は「ブッシュが胚性幹細胞研究促進を凍結したから」といえる。
しかし、彼と財団の10年にわたる活動を通じて、パーキンソン病に対する社会の認知度が格段に高まったことは疑う余地がないし、また、胚性幹細胞研究についての議論が著しく活性化したことも間違いない。
2008年、そのことと決して無関係ではあるまいと思われる出来事が起きた。大統領選で勝利したバラク・オバマが、2009年3月にヒト胚性幹細胞研究助成を8年ぶりに解禁すると決定したのである。同年7月、これを実施するための「厳格なガイドライン」を発表。12月には、ついに、解禁後初となる胚性幹細胞研究助成を承認した。
さらに2010年3月、スウェーデンのカロリンスカ研究所から名誉医療学位がマイケルに贈呈されることが決定した。これは、彼が、財団を通じて、パーキンソン病治癒に向けて多額の研究資金を調達したこと、そして、同病に対する社会の認識を高めた功績に対するものであった。
彼の活動が、今や、米国国内に留まらず国際的にも注目され、評価されている証であろう。マイケル・J・フォックスと彼の財団の活動を通じて、パーキンソン病に苦しむ世界の多くの人々が救われる日が一日も早く訪れることを願いたい。(後編に続く)
→マイケル・J・フォックスから知った米国社会の現実――翻訳家 入江真佐子さん
→参考:US News"America's Best Leaders 2007"に選ばれた時の動画
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。
主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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