伝説の“呼び屋”は何を交渉してきたのか――ドクターKこと、北谷賢司35.8歳の時間(1/6 ページ)

» 2010年05月14日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

連載「35.8歳の時間」とは:

 35.8歳――。これはBusiness Media 誠の読者の平均年齢である(アイティメディア調べ)。35〜36歳といえば、働き始めてから10年以上が経ったという世代だ。いろいろな壁にぶちあたっている人も多いだろうが、人生の先輩たちは“そのとき”をどのように乗り切ったのだろうか。

 本連載「35.8歳の時間」は各方面で活躍されてきた人にスポットを当て、“そのとき”の思いなどを語ってもらうというもの。次々と遭遇する人生の難問に対し、時に笑ったり、時に怒ったり。そんな人間の実像に迫る。


今回インタビューした、北谷賢司氏(きたたに・けんじ)のプロフィール

1951年、和歌山県生まれ。ワシントン州立大学コミュニケーション学部放送学科卒業。ウィスコンシン大学大学院でテレコミュニケーション法、経営学を履修し、修士号と博士号を取得。ワシントン州立大学で助教授、インディアナ大学テレコミュニケーション経営研究所副所長を務めながら、日本テレビ放送網顧問として海外番組販売。TBSインターナショナル上席副社長、TBSメディア総合研究所社長を務め、TBSオランダの設立を企画。1987年から後楽園スタヂアム顧問を兼務。その後、東京ドーム取締役兼米国法人社長として12年間、同社の自主興行事業を担当。1999年、ソニーの顧問に就任。ソニー株式会社エグゼクティブ・アドバイザーを経て、ぴあ株式会社取締役、東京ドーム株式会社エグゼクティブ・アドバイザーなどを兼務。現在は金沢工業大学コンテンツ&テクノロジー融合研究所の所長を務める。


学者から、通称“呼び屋”の世界へ

――世界的な大物アーティストなどのコンサートを仕掛けるエンタテインメントビジネス。華やかな世界に見えるが、その舞台裏ではプロモーターや弁護士らが大金をめぐって激しい戦いを繰り広げている。しかし日本に、伝説的な仕掛け人がいることはあまり知られていない。学者から転身した「ドクターK」こと、北谷賢司――。彼はローリング・ストーンズ、マドンナ、U2といった大物アーティストのほか、NFL、NBA、MLBなどスポーツ興行の招へい交渉を手掛けてきたのだ。

 通称“呼び屋”の世界で、北谷はどのような交渉を展開してきたのだろうか。四半世紀に渡り世界を股にかけてきた男が、過去を振り返った。

故マイケル・ジャクソン(右)を東京ドームに招へいした北谷賢司

 20代のときは必至になって勉強していましたね。1ドル=308円の時代に米国へ留学していましたから、いまと違って学費が高かった。できるだけ早く卒業するために猛勉強したこともあって、28歳のときにウィスコンシン大学大学院で博士号を取得しました。ただ勉強ばかりではなく、地元のテレビ局でディレクターをやったり、FM局で営業をしていました。当時、外国人の私が米国で働くのは制限があったのですが、自分の専門分野であればパートタイムとして働くことを認めてくれました。振り返ってみると、そのときメディア業界で働いた経験は、私の人生の中でとても大きかったですね。

 その後、インディアナ大学で助教授を務めていたのですが、当時の日本は第一次ニューメディアブームが起きていました。大手メディアは衛星放送やケーブルテレビなどの事業に参入する動きがあったのですが、米国や欧米のメディア事情に詳しい日本人はほとんどいませんでした。そこでたくさんの会社から「ウチに来ていただけませんか?」といったオファーをいただきました。

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