ゲームは単なる娯楽という1ジャンルを超えて、今や私たちの生活全般に広がりつつある。このコラムでは、ソーシャルゲームや携帯電話のゲームアプリなど、すそ野が広がりつつあるゲームコンテンツのビジネスモデルについて、学術的な背景をもとに解説していく。
ジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』をご覧になっただろうか。ゲームアプリでは“アバター”というとインターネットでの電子的な分身を指すが、映画では異星人と地球人の遺伝子をバイオ技術で組み合わせて作られたハイブリッドという有機体であった。
地球人には毒になる大気をまとったパンドラ星に降り立つため、主人公ジェイク・サリーは有機体アバターを操作する。しかし、異星人としての生活時間が長くなるにつれ、彼はどちらが現実だか分からなくなってくる。
最初は奇妙に見えたパンドラ星人のブルーの肢体が、そのうち美しく見えてくる。一方、地球人の方が小さくてもろくて醜く見えてくる。アバターを単体で見るならば、映画のセリフにあったように“ブルーモンキー”にしか見えないかもしれない。しかし、パンドラ星のまばゆい自然と、彼らの精神性の高い生活とが一体となり、見るものをひきこんでいく。
電脳世界のアバターも映画と同様で、単体ならばただの電子信号に過ぎず、現実世界で何の役にも立たない。しかし、このアバターに着せる洋服や、ゲーム内の“マイホーム”を飾る家具など、仮想アイテムを購入する人が増えている。仮想アイテムの購入は、用途や機能という現実世界のロジックでは説明できない。そのためか、「アバターやアイテムにお金を払う人は、コアゲーマーなど特殊な層だ」という認識があった。
「アイテム課金は、着せ替え人形ビジネスですか? 少女向けのビジネスですか?」と聞かれることがある。「性別も年齢も問わない、むしろ、誰でも仮想アイテムを購入する素地がある」と筆者は考える。なぜなら、私たちは、仮想アイテムという電子信号以上のものに対してお金を払っているからだ。
仮想アイテムは、それを取り巻く場があることで初めて価値が生まれる。クエストを制覇した達成感、競い合って真剣になったこと、一緒にプレイした友達、そこで交わした会話。これらが一体となり、電子信号のアバターに意味が生まれる。
筆者は数年前、あるオンラインゲームでプレゼントされた「霊石の腕輪」をデータとしてゲーム世界に残しておくだけのために、何年も月額料金を払い続けたことがある。当時のオンラインゲームでは、アイテム自体は販売されていなかった。つまり、もらった霊石の腕輪は、何十時間というプレイ時間を費やして、モンスターを倒して材料を手に入れ、何度も失敗しながら合成(精錬)して作ったことを意味しているのだ。
プレゼントは「あなたのことを気遣っています」という友情や感謝の証であり、見かけや機能以上の意味が込められている。現実世界でも、その人のために時間をかけて選んだことが、何より大事なプレゼントとなることがある。この時、その物自体が何であるかは問題ではない。
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