アマチュアレストアラーにとっての1つの関門は、YASHICA Electro35のレストアにあるように思う。比較的個体数の多いカメラだが、修理するとなると極端に難しい。しかし、明るいYASHINONレンズの写りはすばらしく、レンジファインダー機とは思えないほどの“攻めた”写真が撮れる。
筆者も一応、Electro35の修理はクリアしたので、レストアラーとしてはようやく中級ぐらいだろうか。機会があれば、ほかのYASHICAのカメラもいじってみたいと思っていたのだが、運良くジャンク扱いで別のカメラを手に入れることができた。
YASHICA EEというシンプルなカメラは、同社初のEE(自動露出)カメラだ。当然Electro35よりも前のもので1962年の発売である。
YASHICAの35ミリレンジファインダー機は、時代ごとにいくつかのシリーズに分けることができる。露出計のないYASHICA35シリーズ、露出計はあるが非連動のYASHICAミニスターシリーズ、連動露出計を搭載したYASHICAリンクスシリーズと、延々Electro35シリーズまで続いていく。YASHICA EEは、YASHICAリンクスシリーズに分類されるようである。
やや背が高く、横幅が短く、レンズまわりにセレン式露出計を装備した姿は、いまの目線からするとずんぐりむっくりであまり格好良くないが、当時としては自動露出の最新鋭機であった。発売当時の価格は2万500円であったという。
入手したYASHICA EEは、多少の汚れはあるものの動作には問題がないようだった。値段は1050円。ただし、レンズの前玉に一部コーティングの剥がれがあり、それが原因で修理不能のジャンクというわけであろう。まあ、無理に逆光を狙わなければ、やせても枯れてもそこはYASHINONなので、そこそこの写りは期待できる。
レンズは45ミリ。当時としては標準レンズで、F1.9と結構明るい。同モデルでF2.8のものもあったそうである。フォーカス調整は二重像を合わせるタイプだが、中のハーフミラーが剥がれかかっているのか、非常に見づらい。これはあとで中を開けてみて確認するとしよう。
フィルムカウンターは加算式で、フィルムを装填したあと自分でダイヤルを回して0セットするスタイル。フィルム感度は、最高でASA 800まであるが、なぜか設定にASA 100がない。25、40、80と来て、次が200である。80の次に黒丸が打ってあるので、もしかしたらそこが100なのだろうか。当時ASA 100は比較的よく使われる感度だったと思うのだが、その表示を省略した意図がよく分からない。
EEを特徴付けている自動露出は、絞りをAUTOにしたときのみ動くシャッタースピード優先タイプである。シャッターはCOPAL製のものが付いているが、シャッタースピードは最速で1/500秒と、それほど速くはない。
いくら自動とはいっても、シャッタースピードがどれぐらいなら絞りが追従するのかという範囲は知りたい。それを見るためには、ビューファインダーの上にある信じられないぐらい小さな窓をのぞき込んで、露出計の針を確認する必要がある。
本来は写真でゲージの中身をお見せしたかったところだが、あまりにも小さくて撮影は困難である。別々に見るのではなく、むしろファインダーと一緒に透かして見るというのが、本来の使い方なのかもしれない。のちにこれが改良されて、多くのカメラでファインダーの中に露出ゲージが表示されるようになっていくわけである。
映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作はITmedia +D LifeStyleでのコラムをまとめた「メディア進化社会」(洋泉社 amazonで購入)。
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