カールスルーエ市の「顔」と「物語」を大切にする街作り松田雅央の時事日想(1/2 ページ)

» 2010年03月30日 11時10分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

著者プロフィール:松田雅央(まつだまさひろ)

ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及び欧州の環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」、「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ


 これまで折に触れ、筆者の住むカールスルーエ市の話題を取り上げてきたが、まとまった形で紹介する機会はなかったように思う。今回と次回は、カールスルーエ市の紹介を兼ね、ドイツにおける中核都市の街作りの手法をレポートしたい。

 今回は特に、故郷への愛着を育む「物語」と都市を代表する風景である「顔」を大切にする街作りに焦点を当てる。続く次回は、カールスルーエ市観光公社のインタビューから、地元のメッセ(見本市)を活用しビジネス客をターゲットとするカールスルーエ市の観光戦略を探る。

経済圏140万人の中核都市

 ドイツ南西部、ライン川沿いに位置するカールスルーエ市は、第二次世界大戦後に隣の州と合併するまではバーデン州の州都だった。現在はバーデン・ビュルテンベルク州となり、州都はシュトュットガルトに集約されている。そういった歴史背景から、今もいくつかの州政府機関、州立劇場、州立図書館、州立博物館などがあり、この地域の中核都市に位置付けられている。

 人口は約28万人だが経済圏はずっと広く、およそ140万人。日本ならばさしずめ「人口100〜200万人の県の県庁所在地」に相当するだろう。

始まりは神のお告げ

 カールスルーエ市を始めとして、ドイツの多くの街(すべての街と書いても過言ではない)は、それぞれの物語と顔を大切にしている。

 ここで言う物語とは、その街に伝わる伝説、歴史、あるいは街を題材にした小説など「時代を超えて語り継がれる街の記憶」のことである。そして、街の顔は「その街のキャラクターを直感できる場所や風景」のことだ。

 この地にカールスルーエ城と市街地が建設されたのは今から300年前のこと。さかのぼればローマ時代まで行きつく都市が多いドイツでは、かなり若い部類に入る。当時ここは広大な狩猟用の森で、狩に疲れて昼寝をしていたカール公爵が「この森に城を中心とした放射状のまちを造れ!」という神のお告げを受けたのが始まりと伝えられている。「カールスルーエ」とは「カールの安らぎ」といった意味だ。

 城を中心に通りが伸びる姿はあたかも扇のようで、このような構造の街はドイツでほかにない。実際は都市計画に造詣の深いカール公爵がフランスのまちを模して建設したらしいが、「神のお告げ」の方が物語としては断然面白い。

 もともと緑豊かだった歴史背景を生かし、さらに積極的な緑地整備を推し進めることにより、カールスルーエ市の緑地の質と量はドイツの中でも群を抜いている。別名「緑の扇の街」と呼ばれるゆえんだ。

建設初期(約250年前)のカールスルーエ城と市街地(左)、現在のカールスルーエ市中心市街地(右)

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