フィレンツェで声をかけられた……旅行客を狙う、スリの手口松田雅央の時事日想(1/3 ページ)

» 2010年01月19日 08時00分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

著者プロフィール:松田雅央(まつだまさひろ)

ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及び欧州の環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」、「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ


 先ごろ、クリスマス休暇を使ってイタリア中部の都市フィレンツェを訪れた。観光シーズンから外れているため人込みはなかろうと思っていたのだが、さすが世界的に有名な観光地。日本人も含め、世界各国から来た観光客でにぎわっていた。

 イタリアやヨーロッパの歴史・芸術に興味のある人ならばご存じの通り、フィレンツェは14〜15世紀にイタリアで開花したルネサンス(古典芸術の復興・再生)運動の中心都市である。フィレンツェ大聖堂やサン・ロレンツォ教会をはじめとした芸術性の高い建築物、かの有名なミケランジェロの「ダビデ像」、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」など、美術ファンにはたまらない世界第一級の作品が観賞できる。

 また、フィレンツェには食はもちろん、高級ブティックから手ごろなファッションの店までそろい、ショッピングも楽しめる。今回は多様な魅力に溢れるフィレンツェの素顔をご紹介したい。

フィレンツェ大聖堂(左)、中央市場の食材店(右)

メディチ家

 フィレンツェの人口は約37万人、トスカーナ州の州都である。そもそもここは先住民族エトルリア人が作った街であるが、ローマ時代に植民都市となり、エトルリア人は古代ローマ人と同化していった。そんな歴史背景も影響しているのだろう。トスカーナ地方の人々はイタリアの他地域と異なり「我々はトスカーナ人である!」という独立意識が強いそうだ。

 そんなフィレンツェに、14世紀後半台頭してきたのが金融業を営むメディチ家であった。メディチ家の由来ははっきりしないが、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360〜1429)の代に経済的大成功を収め、以後、メディチ家当主がフィレンツェとトスカーナ地方の統治者として街の発展を担うこととなった。

 メディチ家の当主は代々、文化・芸術の芸術振興にも力を入れ今日見られる芸術都市を育てていった。メディチ家は18世紀に血筋が絶えてしまったが、最後の当主アンナ・マリア・ルイーザ(1667〜1743)はメディチ家所蔵の芸術作品をトスカーナ大公国へ寄贈し、それが芸術都市の礎となっている。

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