古都ハイデルベルクの街づくり松田雅央の時事日想(1/3 ページ)

» 2009年09月15日 09時21分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

 古都ハイデルベルクは新白鳥城やローテンブルクと並び日本人観光客にも人気の観光地だ。ネッカー川の岸辺から見上げるハイデルベルク城の眺めは数々のガイドブックの表紙を飾り、ドイツの代表的な顔になっている。加えて山の麓(ふもと)に広がる中心市街地も欠くことのできない重要な要素であり、2004年と2007年には城と中心市街地があわせてユネスコ世界遺産に登録申請された。

 中心市街地は観光地であると同時に、そこに住む人々にとっても魅力的な地域でなければならない。ハイデルベルクはそれを両立しているのだが、昔からそうだったわけではなく深刻な問題を抱えていた時期もある。ここではハイデルベルク中心市街地がどのようにして活性化を成し遂げたのかを見てみよう。

ネッカー川の岸辺からカール=テオドール橋、中心市街地、ハイデルベルク城を望む

悪化する住環境

 ハイデルベルクに限らず、古くからあるヨーロッパの村や都市は必ず旧市街地を持っている。昔は城壁が街を囲み、その中心に中央広場、教会、役場が置かれ、商業地域もそこから発達してきた。20世紀の人口増加により市街地は拡大したが、昔も今も最も活気に溢れているのが旧市街地である。実質的に「旧市街地=中心市街地」ということが多い。(以後、旧市街地と記述)

ハイデルベルク旧市街地
ハイデルベルク旧市街地図

 ハイデルベルクの旧市街地は第二次世界大戦中に爆撃を受けなかったため破壊を免れたが、1950〜1960年代には古い建物を建て替える「近代化という破壊の波」が押し寄せた。老朽化が進む建物からは住民が去り、残るのは学生・低所得者・外国人・老人ばかり。アンバランスな開発により、文化財の消失と住環境の悪化が深刻な社会問題となっていった。

 旧市街地はそれ自体が大切な地域の文化財産であり、どうにかして守らなければない。1970年代に入ると旧市街地保全の機運が高まり、ドイツ各地で旧市街地の再開発プロジェクトが始まった。現在、ハイデルベルクの旧市街地にある建物は、およそ9割が文化財に指定されている。

 そこで用いられた手法は建て替えではなく、建物の外観を復元し内部を近代化するというものだった。元ハイデルベルク市都市計画局職員クラウス・ツィームセン氏は当時、旧市街地の再開発を担当していた。氏によれば、そのころの建築家にとって古い家屋の改修は全く新しい分野であったという。現在は建築家のおよそ半数が古い家屋の改修にかかわっているというから時代は変わったものだ。

ツィームセン氏。最初の再開発プログラムの対象となったブロック
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