トイレとウォシュレットはどのように変化してきたのか?嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/4 ページ)

» 2009年08月01日 00時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

 「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

 本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


 男性5回、女性7回――。

 これは日本人が1日当たりにトイレに行く回数と言われているが、日本人は神聖さや穢(けが)れの象徴として、また異界への入り口としてトイレを特別視するという独自の歴史を有している。

 お産を助けてくれる便所神が住んでいるから、トイレをキレイに掃除をしたらキレイな子どもが生まれると言い伝えられている。このほか便器の奥から人の手が出てくる怪談がまことしやかに語られ、さらに近年では「トイレの花子さん」に代表される都市伝説の舞台となってきた。

 古来、日本人には隠微で秘めやかな排泄空間としてのトイレに対して、特別な思い入れがあるのかもしれない。こうしたメンタリティが根底にあってのことだろうか、世界に類を見ない数々のイノベーションを経て、今や、日本はトイレ周りの製品開発では世界をリードする存在になっている。

 そして、その代表格こそ、便器の国内トップシェアを有するTOTOが開発した温水洗浄便座「ウォシュレット」であろう。2009年3月の内閣府の消費動向調査でも、温水洗浄便座の普及率は69.1%になっており、我々の日常生活に深く浸透していることは明らかである。

 今回は同社において、住宅用ならびに海外市場向けのウォシュレット開発の指揮を執る林良祐さん(住宅商品開発第1部、国際レストルーム開発部・部長45歳)にお話をうかがった。

明治期の先見の明

ウォシュレット開発に携わる林良祐さん

 「学生時代、トイレなど水周りが不便で、これを良くすることができれば、生活のステータスが上がると思ったんですよ」

 それが入社動機だったと語る林さんであるが、実際、日本のトイレ事情は先進諸国の中でも長く低い水準にあった。と言っても現代の若い人には、なかなかピンと来ない面もあると思うので、ここで日本のトイレ事情の歴史を振り返っておこう。

 そもそも水洗トイレは19世紀の英国で急速に発展したものであり、明治維新後の文明開化政策の一環として、日本もトイレの水洗化を進めることは可能であった。しかし江戸時代以降、日本社会は糞尿を肥料として農業に利用するシステムが確立されていた。そのため当時は、糞尿が高値で売買され、国を挙げての水洗化は進まなかったと言われている。

 それは一方で、大きな課題を残すことになった。全国の家庭や事業所が糞尿を溜め込むこととで、悪臭はもとより、各種伝染病の温床になっていった。そんな中、日本の代表的輸出産業だった陶磁器製造の中心的存在・森村財閥の大倉孫兵衛・和親親子は、1903年に白色硬質陶磁器の研究のため渡欧の際、日本でも衛生陶器の需要増大が期待できることを見抜き、日本陶器合名会社(1904年、現ノリタケカンパニーリミテド)、そして同社内に衛生陶器開発のための製陶研究所(1912年)を設立した。

 1914年には国産初の「陶製腰掛け水洗便器」を完成し、1917年、ついに衛生陶器のメーカーとして東洋陶器株式会社を創業する(初代社長には大倉和親氏が就任)。これが、現在のTOTOの出発点である。

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