廃線の危機から脱出できるか? 第三セクター・北条鉄道の挑戦近距離交通特集(1/6 ページ)

» 2009年02月04日 07時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]
第三セクター北条鉄道

 日本に鉄道が開業して以来1950年代まで、第二次大戦時の不要不急路線※の休止を除けば、総延長距離は増加する一方だった。しかし1960年代になると、マイカーの普及にともない全国で路面電車やローカル線が廃止され始めた。1980年代は国鉄の赤字ローカル線の整理が行われ、路線の廃止、あるいは地元自治体が参加する第三セクターへの経営移管が行われた。国鉄赤字線の処理が終わった1990年代は比較的落ち着いており、年間の廃止路線は1件または2件程度だった。

※不要不急路線…武器生産に必要な金属資源不足を補うため、政府の命令により線路を撤去された鉄道路線。

 下の表は2001年4月1日以降に廃止された鉄道路線の一覧である。主に沿線住民が利用する路線のみ抽出し、貨物専用路線、主に観光用のケーブルカーやモノレール線、廃止後第三セクターなど経営主管が変わった路線を除いた。この表を見ると、毎年のようにどこかで鉄道路線が廃止されていることが分かる。2003年は2路線、2004年は1路線と少ないが、それ以外の年は3路線以上が廃止されている。特に2001年は3事業主、6路線という多さである。

2001年4月1日以降に廃止された路線

廃止日 会社名 路線名 距離(キロメートル) 備考
2001年4月1日 のと鉄道 七尾線 20.4 第三セクター(旧国鉄七尾線)
2001年4月1日 下北交通 大畑線 18.0 第三セクター(旧国鉄大畑線)
2001年10月1日 名古屋鉄道 谷汲線 11.2
2001年10月1日 名古屋鉄道 揖斐線 5.6
2001年10月1日 名古屋鉄道 八百津線 7.3
2001年10月1日 名古屋鉄道 竹鼻線 6.7
2002年4月1日 長野電鉄 河東線 12.9
2002年5月26日 南海電気鉄道 和歌山港線 2.6
2002年8月1日 南部縦貫鉄道 南部縦貫鉄道線 20.9
2002年10月21日 京福電気鉄道 永平寺線 6.2 京福電気鉄道は現在えちぜん鉄道に組織変更
2003年1月1日 有田鉄道 有田鉄道線 5.6
2003年12月1日 西日本旅客鉄道 可部線(一部) 46.2 可部−三段峡
2004年4月1日 名古屋鉄道 三河線(一部) 25.0 西中金 - 猿投、碧南 - 吉良吉田
2005年4月1日 名古屋鉄道 岐阜市内線 3.7 軌道区間
2005年4月1日 名古屋鉄道 揖斐線 12.7 軌道区間
2005年4月1日 名古屋鉄道 美濃町線 18.8 軌道区間
2005年4月1日 名古屋鉄道 田神線 1.4 軌道区間
2005年4月1日 のと鉄道 能登線 61.0 第三セクター(旧国鉄能登線)
2006年4月21日 北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線 140.0 第三セクター(旧国鉄池北線)
2006年10月1日 桃花台新交通 桃花台線 7.4 第三セクター、新交通システムで初の廃止
2006年12月1日 神岡鉄道 神岡線 19.9 第三セクター(旧国鉄神岡線)
2007年4月1日 西日本鉄道 宮地岳線(一部) 9.9 西鉄新宮−津屋崎、残存区間は貝塚線と改称
2007年4月1日 くりはら田園鉄道 くりはら田園鉄道線 25.7 第三セクター(旧栗原電鉄)
2007年4月1日 鹿島鉄道 鹿島鉄道線 27.2
2008年4月1日 島原鉄道 島原鉄道線(一部) 35.3 島原外港−加津佐
2008年4月1日 三木鉄道 三木線 6.6 第三セクター(旧国鉄三木線)
2008年12月27日 高千穂鉄道 高千穂線 50.0 第三セクター(旧国鉄高千穂線) 災害要因
2009年11月1日 北陸鉄道 石川線(一部) 2.1 鶴来−加賀一宮(予定)

 2000年代になって鉄道の廃止が顕著になった理由は2つある。

 1つは、1999年3月1日の鉄道事業法改正である。それまで鉄道の路線敷設は国の認可事業であり、廃止する際にも国の認可が必要だった。鉄道会社が赤字路線を廃止したくても、地元自治体などが反対したり、事業主が黒字だったりした場合は認可されなかった。しかし、鉄道事業法の改正以降は認可制ではなく許可制となった。鉄道会社が路線を廃止したい場合、国土交通省に届出を出せば許可される。届出は「廃止日の1年前に提出すること」と定められたため、届出から廃止までは1年間の猶予がある。しかし、その路線の利用者、関係者に異議がない場合は廃止日の繰り上げも可能だ。鉄道事業法が改正された1999年3月1日の1年後は2000年の3月1日である。したがって、2000年3月以降、鉄道路線の廃止が急増した。

 もう1つは、第三セクター鉄道の資金切れだ。1980年代に国鉄が赤字ローカル線を切り離した時、その路線を地元自治体が継承するために第三セクター方式が採用された。こうした路線には、国から経営安定資金が提供された。「赤字路線を継承するからには、地元の努力で経営が軌道に乗るまでは国が支援しよう」という趣旨だった。つまり、しばらくは赤字が続いたとしても、鉄道を維持できる仕組みだ。しかし、2000年以降、その経営安定化資金が底を突く第三セクターが続出した。第三セクター鉄道と筆頭株主である自治体は、新たな経営安定化基金を準備するため、税金で赤字を補填する必要に迫られた。そのため、第三セクター鉄道の存続は選挙の争点となり、市民が路線の廃止、存続について間接的に意思表示できるようになった。

 その結果、第三セクター鉄道のいくつかは廃止されたり、廃止が検討されたりしている。一方、存続を決めた路線や存続の道を探している路線もある。本記事では、兵庫県加西市(かさいし)の第三セクター、北条鉄道を紹介しつつ、市民の足としての鉄道の存在意義と、その可能性について考察する。

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