日本に鉄道が開業して以来1950年代まで、第二次大戦時の不要不急路線※の休止を除けば、総延長距離は増加する一方だった。しかし1960年代になると、マイカーの普及にともない全国で路面電車やローカル線が廃止され始めた。1980年代は国鉄の赤字ローカル線の整理が行われ、路線の廃止、あるいは地元自治体が参加する第三セクターへの経営移管が行われた。国鉄赤字線の処理が終わった1990年代は比較的落ち着いており、年間の廃止路線は1件または2件程度だった。
下の表は2001年4月1日以降に廃止された鉄道路線の一覧である。主に沿線住民が利用する路線のみ抽出し、貨物専用路線、主に観光用のケーブルカーやモノレール線、廃止後第三セクターなど経営主管が変わった路線を除いた。この表を見ると、毎年のようにどこかで鉄道路線が廃止されていることが分かる。2003年は2路線、2004年は1路線と少ないが、それ以外の年は3路線以上が廃止されている。特に2001年は3事業主、6路線という多さである。
廃止日 | 会社名 | 路線名 | 距離(キロメートル) | 備考 |
---|---|---|---|---|
2001年4月1日 | のと鉄道 | 七尾線 | 20.4 | 第三セクター(旧国鉄七尾線) |
2001年4月1日 | 下北交通 | 大畑線 | 18.0 | 第三セクター(旧国鉄大畑線) |
2001年10月1日 | 名古屋鉄道 | 谷汲線 | 11.2 | − |
2001年10月1日 | 名古屋鉄道 | 揖斐線 | 5.6 | − |
2001年10月1日 | 名古屋鉄道 | 八百津線 | 7.3 | − |
2001年10月1日 | 名古屋鉄道 | 竹鼻線 | 6.7 | − |
2002年4月1日 | 長野電鉄 | 河東線 | 12.9 | − |
2002年5月26日 | 南海電気鉄道 | 和歌山港線 | 2.6 | − |
2002年8月1日 | 南部縦貫鉄道 | 南部縦貫鉄道線 | 20.9 | − |
2002年10月21日 | 京福電気鉄道 | 永平寺線 | 6.2 | 京福電気鉄道は現在えちぜん鉄道に組織変更 |
2003年1月1日 | 有田鉄道 | 有田鉄道線 | 5.6 | − |
2003年12月1日 | 西日本旅客鉄道 | 可部線(一部) | 46.2 | 可部−三段峡 |
2004年4月1日 | 名古屋鉄道 | 三河線(一部) | 25.0 | 西中金 - 猿投、碧南 - 吉良吉田 |
2005年4月1日 | 名古屋鉄道 | 岐阜市内線 | 3.7 | 軌道区間 |
2005年4月1日 | 名古屋鉄道 | 揖斐線 | 12.7 | 軌道区間 |
2005年4月1日 | 名古屋鉄道 | 美濃町線 | 18.8 | 軌道区間 |
2005年4月1日 | 名古屋鉄道 | 田神線 | 1.4 | 軌道区間 |
2005年4月1日 | のと鉄道 | 能登線 | 61.0 | 第三セクター(旧国鉄能登線) |
2006年4月21日 | 北海道ちほく高原鉄道 | ふるさと銀河線 | 140.0 | 第三セクター(旧国鉄池北線) |
2006年10月1日 | 桃花台新交通 | 桃花台線 | 7.4 | 第三セクター、新交通システムで初の廃止 |
2006年12月1日 | 神岡鉄道 | 神岡線 | 19.9 | 第三セクター(旧国鉄神岡線) |
2007年4月1日 | 西日本鉄道 | 宮地岳線(一部) | 9.9 | 西鉄新宮−津屋崎、残存区間は貝塚線と改称 |
2007年4月1日 | くりはら田園鉄道 | くりはら田園鉄道線 | 25.7 | 第三セクター(旧栗原電鉄) |
2007年4月1日 | 鹿島鉄道 | 鹿島鉄道線 | 27.2 | − |
2008年4月1日 | 島原鉄道 | 島原鉄道線(一部) | 35.3 | 島原外港−加津佐 |
2008年4月1日 | 三木鉄道 | 三木線 | 6.6 | 第三セクター(旧国鉄三木線) |
2008年12月27日 | 高千穂鉄道 | 高千穂線 | 50.0 | 第三セクター(旧国鉄高千穂線) 災害要因 |
2009年11月1日 | 北陸鉄道 | 石川線(一部) | 2.1 | 鶴来−加賀一宮(予定) |
2000年代になって鉄道の廃止が顕著になった理由は2つある。
1つは、1999年3月1日の鉄道事業法改正である。それまで鉄道の路線敷設は国の認可事業であり、廃止する際にも国の認可が必要だった。鉄道会社が赤字路線を廃止したくても、地元自治体などが反対したり、事業主が黒字だったりした場合は認可されなかった。しかし、鉄道事業法の改正以降は認可制ではなく許可制となった。鉄道会社が路線を廃止したい場合、国土交通省に届出を出せば許可される。届出は「廃止日の1年前に提出すること」と定められたため、届出から廃止までは1年間の猶予がある。しかし、その路線の利用者、関係者に異議がない場合は廃止日の繰り上げも可能だ。鉄道事業法が改正された1999年3月1日の1年後は2000年の3月1日である。したがって、2000年3月以降、鉄道路線の廃止が急増した。
もう1つは、第三セクター鉄道の資金切れだ。1980年代に国鉄が赤字ローカル線を切り離した時、その路線を地元自治体が継承するために第三セクター方式が採用された。こうした路線には、国から経営安定資金が提供された。「赤字路線を継承するからには、地元の努力で経営が軌道に乗るまでは国が支援しよう」という趣旨だった。つまり、しばらくは赤字が続いたとしても、鉄道を維持できる仕組みだ。しかし、2000年以降、その経営安定化資金が底を突く第三セクターが続出した。第三セクター鉄道と筆頭株主である自治体は、新たな経営安定化基金を準備するため、税金で赤字を補填する必要に迫られた。そのため、第三セクター鉄道の存続は選挙の争点となり、市民が路線の廃止、存続について間接的に意思表示できるようになった。
その結果、第三セクター鉄道のいくつかは廃止されたり、廃止が検討されたりしている。一方、存続を決めた路線や存続の道を探している路線もある。本記事では、兵庫県加西市(かさいし)の第三セクター、北条鉄道を紹介しつつ、市民の足としての鉄道の存在意義と、その可能性について考察する。
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