試合に勝ってもブーイング――私が浦和レッズを応援する理由郷好文の“うふふ”マーケティング(1/2 ページ)

» 2008年11月20日 12時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・実行、海外駐在を経て、1999年より2008年9月までコンサルティングファームにてマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。 2008年10月1日より独立。コンサルタント、エッセイストの顔に加えて、クリエイター支援事業 の『くらしクリエイティブ "utte"(うって)』事業の立ち上げに参画。3つの顔、どれが前輪なのかさえ分からぬまま、三輪車でヨチヨチし始めた。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 「特定のチームのサポーターになるって気持ちが分からない」

 知人の男性が言った。「特定の選手のファンなら分かる」、彼はそう続けた。

 選手は1人、成長もすれば苦悩もするが、違う人に入れ替わることはない。しかし、チームでは所属選手は毎年入れ替わり、監督も交代し、昨今ではオーナー会社さえも替わってしまう。地元ならご当地意識でサポーターになるかもしれないが、時には非地元民でさえもサポーターになってしまうのが不思議だと言うのだ。

 「なぜチームのサポーターになるのか?」

 Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ(レッズ)のサポーター、自称“レッズラー”の私はこう答えた。

 「レッズサポーターになったのは、“あの時”のカタチにハマったからだな」

“あの時”とのズレを怒るサポーター

浦和レッズ公式Webサイト

 “あの時”とは、レッズの看板選手だった小野伸二選手(現・VfLボーフム所属)がオランダのフェイエノールトに移籍した後の2002年シーズン。

 当時、レッズには山田暢久選手、田中達也選手、エメルソン選手、永井雄一郎選手ら逸材が集結していた。彼らはまさに“やり”のように敵陣へと突っ込む、“縦”に動くタイプだった。さらに2003年に長谷部誠選手が入団、2004年には三都主アレサンドロ選手が加わり、サイドからのやりも増えた。熱血漢の闘莉王選手も2004年に移籍してきた。

 この時代の、怒濤(どとう)のように前へ前へと攻め込む浦和レッズはすごかった。レッズがボールを取ると、「何かが起こる」という期待がスタジアムを走ったのだ。

 そして成績もついてきた。2003年はリーグ6位、その年のナビスコ杯で優勝。2004年はリーグ2位、2005年も2位だったが天皇杯で優勝した。私の“あの時”はこのころのピッチにある。

 私とは違い、“ミスター・レッズ”こと福田正博選手が活躍した1990年代にも、“あの時”の思いを持つサポーターがいる。サポーターとはそれぞれの心に“あの時”を持つ生き物、「“あの時”のカタチと、今がズレていないか?」、それを毎試合測る。ズレていれば勝ったとしても納得しない。しかし、負けても近付いていると思えば、黙って見守る。それがサポーター心理だ。

試合に勝ってもブーイング

 そのレッズサポーターたち、「試合に勝ってもブーイング」したことで話題になった。11月3日、天皇杯4回戦でJ2の愛媛FCに延長戦の末、1対0で辛勝した試合だ。低調な試合運びに不満を抱いたサポーターたちが、レッズの選手に容赦なくブーイングを浴びせた。選手の中にも「勝ったのになぜ?」という気持ちが広がり、闘莉王選手のようにサポーターに詰め寄った人もいた。

 「分かってないな」

 そう私はつぶやいた。サポーターは勝ち負けだけで喜ぶような単純な集団ではない。試合の勝敗よりも、“あの時”とのズレで怒るのだ。サポーターそれぞれが思い描いていた“あの時”の動きとは程遠い選手の姿を見て、実にふがいないと思ったのだ。

2009浦和レッズサポーターカレンダー(浦和レッズ公式Webサイトより)
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