どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(最終回)成田新線・新交通編近距離交通特集(1/5 ページ)

» 2008年11月07日 18時12分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

 2000年に策定された「運輸政策審議会答申第18号(以下、18号答申)」で描かれている首都圏の鉄道構想を追っていく連載記事の最終回(全5回)。今回は成田新線などの計画を取り上げる。

 →どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(1)横浜エリア編

 →どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(2)東京エリア編その1

 →どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(3)東京エリア編その2

 →どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――(4)東京駅周辺編

 →どうなる、こうなる首都圏の鉄道網――未来編

 →どうなる、こうなる近畿圏の鉄道網(前編)

 →どうなる、こうなる近畿圏の鉄道網(後編)

(注):タイトルに付いている【数字】は18号答申で振られている数字を示す。また、「○○の現状」では筆者の所感を多分に含んでいることをご承知願いたい。地図はGoogle Mapsより引用し、将来どのように鉄道が走るかを大まかに示した。

【26】北総鉄道北総・公団線を延伸し新東京国際空港へ至る路線の新設

成田新高速鉄道の概要

 北総鉄道を延伸し、成田国際空港(旧新東京国際空港。以下、成田空港)へ接続する計画。18号答申では「京成高砂−印西牧の原−印旛日本医大−土屋−新東京国際空港」と示されている。このうち、京成高砂−印旛日本医大は北総鉄道北総線として開業している。また、土屋−新東京国際空港は京成電鉄の本線である。つまり本計画は印旛日本医大−土屋の新線を建設し、合わせて北総線、京成線の高速化対応工事を実施する。

 実現すれば、日暮里−成田空港空港第2ビルは36分で結ばれる予定である。18号答申では「関係者が多岐にわたることから、千葉県などが中心となり整備手法などに付き、関係者間で早急に調整する」とのただし書きがある。

成田新高速鉄道の現状

 新線区間、改良区間ともに着々と工事が進ちょくしている。新線区間を建設するために設立された成田高速鉄道アクセスによると、工事完成は2010年度となっている。すでに開業している北総鉄道の区間も、追い越し設備の設置など駅の改良工事が進んでいる。新規建設区間は最高時速160キロメートルで走行可能とし、北総線改良区間も路盤の改良を行って、最高時速130キロメートルで走行可能とする。また、京成電鉄でも日暮里駅の改良工事を始めている。さらに京成高砂駅では本線と北総線の列車本数増に対応するため、金町線のホームを2階に移す工事も始まった。また、新路線を受け入れる成田空港側も京成成田空港駅を拡張する準備を進めている。

新型スカイライナー(出典:京成電鉄)

 運行を担当する京成電鉄では、同区間を走行する特急列車スカイライナーの車両デザインを発表するなど話題作りを始めている(外部リンク、PDF)。この動きをけん制するかのように、ライバルとなるJR東日本は成田エクスプレスの車両を2009年度から一新すると発表した。また京成電鉄では、10月に新規建設区間に設置される新駅の駅名募集も行った。今後も開業に向けてさまざまな話題が提供され、メディアをにぎわせてくれることだろう。

 さて、18号答申では「関係者が多岐にわたる」と記述されている。これは成田新高速鉄道のルートが当初から成田空港接続を考慮して作られていなかったという経緯による。例えば、京成高砂−印旛日本医大の北総線建設の目的は、千葉ニュータウン開発地域にアクセスするためだった。18号答申よりも前、1972年3月の都市交通審議会答申第15号(15号答申)により「都営浅草線を延伸し、京成押上線を複々線化した上で相互直通し、さらに京成本線に乗り入れ、京成高砂で分岐して千葉ニュータウン小室地区に至る路線」として定義されたのだ。

 また、小室駅から印旛日本医大駅までは15号答申で「都営新宿線を延伸し、鎌ヶ谷から北総線と併走して小室に至り、さらに印西松虫(現在の印旛日本医大)へ延伸する路線」と定義されていた。この路線は住宅都市整備公団が建設、人口が増加する千葉ニュータウンに対し、都営浅草線ルートと都営新宿線ルートの2方面で都心にアクセスさせる計画だった。しかし都営新宿線延伸計画は見送られ、2つのルートは小室駅で接続して一体化、運行は北総鉄道が担当することになった。つまり北総線の線路は、小室駅を境として西側が北総鉄道、東側が住宅都市整備公団の保有となっていた。

 その後、1999年に住宅都市整備公団は解散され、業務を引き継いだ都市基盤整備公団も2004年に鉄道事業からの撤退を決める。そこで京成電鉄は100%子会社の千葉ニュータウン鉄道を設立し、小室−印旛日本医大を引き継いだ。なお、運行はそのまま北総鉄道が引き受けており、利用者から見ると昔から今まで変わらずに北総鉄道が運行しているように見える。

 「千葉ニュータウンアクセス鉄道」でしかなかったこの路線が、「成田アクセス路線の一部」と位置付けられたきっかけは、1982年に新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会が運輸省(当時)に対し、空港アクセス鉄道についての3つの案を答申したことによる。答申では北総線を延伸する案のほかに、成田新幹線計画ルートを再整備する案、国鉄(のちにJR)の成田線を分岐して成田空港を結ぶ案があった。これを受けて、1984年に運輸省は北総線延伸案を推進すると決定した。

 ちなみに、当時の成田空港は京成電鉄が成田空港駅(現東成田駅)まで到達したものの、そこからターミナルまでは連絡バスに乗り換える必要があった。1987年に運輸大臣に就任した石原慎太郎氏は、遅々として進まない成田アクセス鉄道問題に対して、中断した成田新幹線の設備と用地を活用し、京成線とJR線を成田空港に乗り入れさせるという案を指示。この結果、1991年に現在の京成スカイライナーが成田空港地下に乗り入れ、JR成田エクスプレスが運行を開始する。新東京国際空港アクセス関連高速鉄道調査委員会の提案のうち、当時の運輸省が採択しなかった成田線分岐案が先に実現したことになる。

青線が開業部分、赤線が延伸部分、緑線が現在のスカイライナーのルート。地図上は新旧ルートの距離は差がないように見える。しかし、新ルートの赤線部分は時速160キロメートルで運行。青線部分の北総鉄道部分は時速130キロメートルで運行するため、旧ルートよりも大幅に時間を短縮できる
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