そんな大崎氏に、現在へと繋がる大きな転機が訪れる。それがインターネットだった。
「1995年、インターネットが普及し始めた頃、ラーメン店を紹介するサイトが1つスタートしたんです。それを見て『自分が行ったラーメン店の方がずっと多い』と考えたんですよ。そこで『社内でラーメンサイトを立ち上げたらどうだろう?』という話になって、250軒のラーメン店を紹介するサイトを自ら作ったんです」
こうして、昼間は広告営業で外回り、夜はオフィスでラーメンサイトを構築・運営するという生活が始まった。「ローアングルなユーザー視点に立って、お店の雰囲気が伝わるようにしました。そのために“トロトロ”とか“コッテリ”といった分かりやすい表現も使いました」
約1年後、その効果が出始める。マスコミ各社からの取材を受けるようになったのである。当初は、インターネットでラーメンを扱っている専門サイトがある、という切り口でネット系雑誌に紹介されることが多かったが、次第に、ラーメンの専門家としての大崎氏個人へアプローチが変化してゆき、テレビ番組への出演依頼が舞い込むようになった。
1996〜97年ごろ、テレビ朝日の「トゥナイト」(月〜金、深夜11〜12時台)に出演し、タレントで番組レギュラーのせがわきりさんとラーメン店を取材・リポート。1997〜98年ごろ、テレビ東京「TVチャンピオン」の「ラーメン王決定戦」では、裏方として、問題作成や出演者発掘などにコミット。そして1998〜99年ごろには、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」(月〜金、午後5〜7時)で、当時は局アナだった丸川珠代さん(現・国会議員)とラーメン店の取材・リポートを担当した。
さらに日本テレビでは、峰竜太さんの番組で1年間ラーメンコーナーのレギュラーを務めたほか、2002〜7年には、「どっちの料理ショー」(週1回、午後9〜10時)でラーメン企画の際の審査員を務めた(ちなみに筆者も、この人気番組での大崎氏の審査員ぶりは、とてもよく記憶している)。
ところで、その間、飛竜企画の広告営業の仕事はうまくいっていたのだろうか?
「テレビに出ているから営業成績が下がったと言われるわけには行きませんから、私も必死で仕事しました。テレビ番組の収録・出演は、極力、夜か土・日にしてもらい、平日の昼間はそれまで通り、広告営業に専念していました」
もちろん、これらと平行して、全国のラーメン店巡りは続けていたのだから、その繁忙ぶりが伺われる。
テレビの人気番組で顔と名前が売れてきたことで、それが飛竜企画の広告営業にプラスに作用する面もあったのだろうか? 「それは、正直、かなりありましたね。初めての営業先にも行きやすくなりましたし、はっきり言って成績も上がりやすくなりました」
この頃には、年間売上がほぼ毎年社内トップになっていた大崎氏。しかし、ラーメン関連によって会社にもたらされる売上も上がり、2005年になる頃には、両者の比率が拮抗するくらいにまでなっていた。
2005年3月、大崎氏は、23年間勤め上げ、今や営業部長を務めている飛竜企画を退職し、ラーメン評論家として一本立ちする決意を固める。株式会社ラーメンデータバンクを設立し、飛竜企画の関連会社として独立するスタイルをとった。
主たる業務内容は、前編でも述べたように、「東京のラーメン屋さん」(通称「とらさん」)と、「ラーメンバンク」という2つのサイトの運営を中核とした、ユーザーへのラーメン情報の提供と、全国のラーメン店のサポートである。
それをベースに、マスコミへの出演・各種企画監修はもとより、食品メーカーやコンビニへの商品開発コンサルテーション、商業施設の店舗開発コンサルテーションなどの業務が売上を支える。
ちなみに、小規模な個人経営主体のラーメン店のサポートとは、具体的にどんなことをしているのだろうか?「ラーメン店の困っていることには全て対応していますよ。求人・物件・味・スタッフ教育・広告宣伝……などに関して、必要な情報を提供しています」。
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