第1回・村上ファンドが行ったのは、本当にインサイダー取引だったのか?短期集中連載・保田隆明の“村上裁判傍聴記”

» 2007年05月07日 22時54分 公開
[保田隆明,Business Media 誠]

 「もの言う株主」として経済界を震撼させた村上世彰氏の裁判が、佳境を迎えている。昨年秋に始まった「MACアセットマネジメント」(通称、村上ファンド)と村上氏に対するインサイダー取引に関する裁判は、3月27日、4月10日〜12日の弁護側、検察側による村上氏への尋問を最後に25回にわたる集中審理を終えた。残るスケジュールは検察側の論告求刑(5月11日)、弁護側の最終弁論(6月12日)となり、夏には村上氏への判決が出る見通しとなっている。

 そこで裁判傍聴記を中心に、裁判の争点は何か、裁判のいきさつ、村上氏への尋問でのやり取りをまとめた。

 →第1回・村上ファンドが行ったのは、本当にインサイダー取引だったのか?

 →第2回・嘘つき村上が嘘をついた理由

 →最終回・踊らされた堀江、黒幕だった村上

何を争っているのか

 検察側の主張はこうだ。「ニッポン放送の株を大量に購入するというライブドアの“決定”を村上氏が“伝え聞いた”(2004年11月8日の両者間ミーティング)。その重要情報をもとに村上氏が“故意に”儲けようと思った。その後ニッポン放送の株を大量に買い増したことがインサイダー取引違反だ」。これに対して、村上氏は無罪を主張している。裁判はこのような構図になっている。

 本当にライブドア側(堀江氏、宮内氏)の「決定」は存在したのか(1.いつ、どのような形で決定がなされたのか、2.その決定が客観的に実現可能性があったか)。その決定を村上氏は本当に伝え聞いたのか(誰がどのように村上氏に伝達したのか)。そして村上氏はニッポン放送株式買付の際に、その決定の存在について認識していたのか(1.存在自体についての認識の有無、2.実現可能性についてどのように認識していたのか)を争っている。

時系列で整理

 まず、でき事を時系列に並べて見ていこう。

 2001年:村上ファンドがニッポン放送株の購入を開始。フジテレビの株式を3分の1以上保有していたニッポン放送だが、時価総額が割安に放置されていたため、それに着目して投資をした。

 2003年7月:ニッポン放送株を買い増していた村上ファンドは、7.37%の株式を取得した旨の大量保有報告書を提出。

 2004年3月末:ニッポン放送株を買い増した村上ファンドの保有比率は、11.62%に達する。

 2004年6月:ニッポン放送の企業価値を向上させるため、村上ファンドの関係者3人を社外取締役として選出するよう株主提案を行う。これに対しニッポン放送は、独自に選出した3人を社外取締役として迎え入れることを提案。これを受け村上ファンドは矛先を納め、株主提案を取り下げる。

 2004年7月:「村上ファンドと外国人投資家が保有しているニッポン放送株式30%を楽天が取得し、フジテレビとの業務提携を図るのはどうか」と、村上ファンドは楽天に対し話を持ちかける。楽天側は「フジテレビの合意が取れるのであれば検討する」と回答した。

 2004年8月:フジテレビの同意が取り付けられず、楽天はニッポン放送の株取得を断念。

 2004年9月15日:村上ファンドはライブドアとの会合で、ニッポン放送株の取得を呼びかける。

 2004年11月8日:村上ファンドとライブドアの2回目会合で、ニッポン放送の株取得に関して議論を行う。

 2005年1月17日:フジテレビがニッポン放送に対するTOB(株式公開買付)を発表した。

 2005年1月28日:ニッポン放送株を大量保有している外国人投資家を紹介してほしい、とライブドアから村上ファンドに連絡があった。それをインサイダー情報だと認識した村上ファンドは、ニッポン放送株の売買を停止した。

 2005年2月8日:時間外取引(ToSTNeT−1)によってライブドアは、ニッポン放送の株を大量取得し、持分割合が3分の1を超える。

検察側と弁護側の争点

 「遅くとも11月8日のミーティング時点で、ライブドアがニッポン放送の株を大量取得するという決定をし、それを村上氏に伝達した。その情報から不徳に利益を得ようとして、村上氏は大量のニッポン放送株を追加取得した」と主張する検察側。これに対し弁護側が真っ向から対立しているのだ。

 しかし、どのようにミーティングが行われたのかは、証人尋問、被告人尋問に頼らざるを得ず、「言った言わない」の水掛け論的なものにならざるを得ない。もし決定や伝達があったとしても、それは客観的に見て実現する可能性があったのか、そこも重要な争点となる。お金がなければ株の大量取得は出来ない。当時のライブドアが多額の資金調達が可能だったことを、客観的に判断できたかが重要となる。

 例えば、時価総額100億円の企業の社長が、「ソニーを買収したい」と決定し、そのことをあるファンドマネージャーに伝達したとする。しかし、時価総額が100億円しかない企業がソニーを買収するのは不可能なことなので、そのファンドマネージャーは“夢物語”として受け止めていた。その後もソニー株を売買し、後日それがインサイダー取引に抵触したとしたら、同ファンドマネージャーは困惑するに違いない。ソニー株は日本の株式市場においてメジャーな銘柄であり、インデックス運用(日経平均株価やTOPIXなど指標の動きに連動した運用)をしている限りは組み込まざるを得ない。社長の夢物語を聞いたことで、ソニー株を売買したことが「インサイダー取引」になるのであれば、“ファンドマネージャーは全員有罪”という理論になる。

 こうした構図で「ライブドアによるニッポン放送買収は夢物語であり、実現性はほぼゼロだった」と村上氏側は主張している。当時、時価総額で1700億円あったニッポン放送の株を3分の1購入するには600億円程度の資金に加え買収プレミアムが必要だ。半分を取得するには、計1000億円ほどが必要となる。このような大規模M&Aを実行する力がライブドアにはなかったという論拠である。それまでライブドアのM&Aは数十億円規模ばかりであったことと、当時の資金調達能力を客観的に判断すれば、大金を集めることは不可能だったということを理由としている。

 ファンドマネージャーにとって、ソニー銘柄は投資対象に組み入れるべき重要銘柄であったのと同じように、村上ファンドにとってもニッポン放送は以前から買い付けている銘柄だった。同社のニッポン放送株の売却戦略においては、ニッポン放送の株主総会で委任状争奪戦を行う(ニッポン放送株式を買い増す)というオプションは重要な戦術だった。そのオプションが消滅してしまうようなインサイダー状態を、自らが進んで作り出す理由がない、と村上氏は裁判で主張している。

11月8日の両社間ミーティングでインサイダー取引が成立?

 裁判でのやり取りを聞いている限り、11月8日の両社間ミーティングの時点で、インサイダー取引と認定するのはやや強引ではないかという印象を受けた。しかし11月8日の次に、両社がニッポン放送に関して議論をしたのは2005年1月6日のミーティングである。11月8日時点でインサイダー取引とすることができれば、村上ファンドのニッポン放送株式買いつけ金額は130億円、実現益(決済して利益になる)は30億円と多額に上る。

 もし1月以降でインサイダー取引と認定すれば、その買い付け金額はわずかなものとなる。そうなると罰則も罰金も低くなってしまうため、11月8日にしたいという意図が検察側にはあるようだ。

ニッポン放送の株式大量取得に至ったいきさつ

 村上氏の裁判での供述をまとめると以下になる。

 ――もともとは、村上ファンドで村上氏のパートナーを務める丸木氏がニッポン放送に着目した。

 ――丸木氏は村上氏にニッポン放送を魅力的な投資案件と勧めたが、当時は村上ファンドの規模がまだ小さかったので、投資対象としては大きすぎた。

 ――ニッポン放送に関してはあまり知識は持っていなかったものの、フジテレビに関しては村上氏は通産省時代から仕事上の付き合いがあり、優れた企業だと思っていた。

 ――ニッポン放送はラジオ事業が本業だったが、これを目的として投資をしていた投資家は少なく、この銘柄をそもそも投資対象としていいか迷っていた。

 ――フジテレビの日枝久会長、村上光一社長には、ニッポン放送の件をどう考えているのか何度もヒアリングを行った。特に日枝会長とはよく会っていた。

 ――ニッポン放送株式の8%を鹿内宏明氏が保有していた(鹿内氏は元フジサンケイグループ議長。ニッポン放送、フジテレビ、産経新聞社の会長職にも就いていたが、現フジテレビ会長の日枝氏によるクーデターでフジサンケイグループを追放される)。

 ――鹿内氏から村上氏へ会食の誘いがあり、「ニッポン放送をやれ」とけしかけられた。鹿内氏は、フジサンケイグループの再編のために持株会社を作るべきと考えており、自らが復権したがっていた。

 ――ニッポン放送とフジテレビの資本のねじれを解消するために、村上ファンドはニッポン放送株式取得を開始した。

ニッポン放送株の売却戦術

 村上ファンドは、保有するニッポン放送株を最終的に売却しなければならない。その売却戦術は3つあった。まずは、フジテレビがニッポン放送を子会社化する時に売却するというもの。これが最も可能性が高く理想的だが、もし実現しなかった場合のプランとして村上氏は、残り2つの選択肢を模索した。

 1つは、ニッポン放送株を事業会社が大量取得する。そのことによって事業会社とニッポン放送、フジテレビが提携することだ。もし事業会社が誕生すれば、同事業会社にニッポン放送株を売却できるようになる。実際、村上ファンドは楽天に対して働きかけた。

 もう1つは、ニッポン放送の株主総会で委任状争奪戦を行い、ニッポン放送の経営権を取得するというもの。経営権取得の危機に直面すればフジテレビは、否が応でも動くだろうとも思っていたのだ。

 最終的には楽天がニッポン放送の株式取得をあきらめたため、村上ファンドはフジテレビによるニッポン放送子会社化と委任状争奪戦の両にらみで進めて行くこととなる。

 委任状争奪戦(プロキシーファイト)とは、自らが株数の過半数を保有していなくとも、同じ考えを持つ他の株主を味方につけ、株主総会にて自らが提案する株主提案にて過半数を獲得し可決させること(もしくは、会社側提案を否決すること)を意味する。村上ファンドは昭栄、東京スタイルの2つの会社に対して委任状争奪戦を行ったが両方敗れている。一方、最近の事例ではいちごアセットマネジメントが大阪製鐵と東京鋼鐵の経営統合に反対した委任状争奪戦では、いちご側が勝利を収め、日本でも委任状争奪戦が機能し始めた(4月19日の記事参照)

 村上氏にとっての最悪のシナリオは、フジテレビがニッポン放送の子会社化を行わず、委任状争奪戦でも負けて、ニッポン放送の中途半端な持ち分を村上ファンドが保有し続けてどこにも売却できない状態になることであった。取引高が異常に少ない銘柄(それゆえに上場廃止の危機にも何度も直面していた)だったニッポン放送の株は、市場での売却が難しい。売却する場合は一括して、どこかに売るしか選択肢はなかったと思われる。

委任状争奪戦を見据えて

 最悪の場合でも委任状争奪戦では勝てるように、村上ファンドでニッポン放送株を買い増さなければならない。また、株主総会で味方となってくれる株主を増やすことが重要となった。

 ただ村上ファンドには、出資者との間で規約が存在していた。1銘柄に投資できる金額はファンドの20%まで。20%の上限に達するとファンドの規模を大きくしなければ、ニッポン放送株の追加取得ができないという状態であった。解散直前でこそ4000億円以上の運用資産があった村上ファンドだが、当時はそれほど規模は大きくなかった。

 株主総会で味方となってくれる株主として、鹿内氏や外国人投資家らとは、コミュニケーションを取っていた。ただ、それだけでは不安だった。新たな味方を作るため村上氏は、親しい人たちにニッポン放送の株を購入してくれるようお願いに回った。

披露宴で購入を勧める

 サイバーエージェント藤田社長の結婚披露宴の席で、村上氏はニッポン放送株の購入を勧めた。その相手が堀江氏だった。彼がテレビ局に関心を持っているのは知っていた。さらに同席していた有名なIT企業社長にも、ニッポン放送の株購入を勧めていた。

 その後、2004年春に、ライブドアは1800株を購入する。IT企業社長らは個人として購入したものの、基本的には会社では買えないと言われたという。

 その他、村上ファンドが誘い込んだのはリップルウッドとフェイスだ。リップルウッドは200株を購入するが、最終的に2004年10月6日、「援軍はできない」との連絡を受ける。

 着メロを事業としていたフェイスは、ニッポン放送子会社の音楽会社であるポニーキャニオンに興味を持っていた。フェイスの社長と親しくしていた村上氏は、2004年の年初からニッポン放送の件について話を始めた。その年の春から株の購入を勧めた。最終的にフェイスは、1%程度のニッポン放送株を取得するが、それが限界だと言われる。

 村上氏は、様々な人にニッポン放送株の購入を勧めたが、「会社では購入できない」「これ以上は買えない」と言われてきた。しかし、ライブドアからはそのような明確なメッセージはなかった。そこで、引き続きライブドアに株の購入をお願いすることになったのだ。

 それは、村上ファンド自身が仕掛ける委任状争奪戦で味方になってもらうために、数パーセント(2%取得でも30億円〜40億円ほど必要)購入してもらうつもりで、よもやライブドアに大量株式取得を期待していたものではない、と村上氏は裁判で主張した。委任状争奪戦の主役はあくまで村上ファンドであり、ライブドアは援軍という位置付けにすぎなかった。しかし、いつの間にかライブドアがニッポン放送の株を大量に購入していたという構図である。

 フジテレビがニッポン放送を子会社化する、もしくは事業会社がニッポン放送株を取得する。これらが村上ファンドによるニッポン放送株の売却手段であった。それではライブドアは、この事業会社になりえたのではないか、という反論が出てくる。そこで村上氏は説明する。ニッポン放送株の購入を打診した楽天とライブドア――この両社への対応は大きく違っていた。事業会社としての役回りを楽天には期待していたが、ライブドアには資金面での体力がなかった。そのため数パーセントの購入しか、期待していなかったという。(続く)

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