雅楽とは1600年前、新羅(しらぎ)の王の勅使により渡来し、400年の月日をかけて日本人の好みに合うように調整された日本最古の古典音楽である。普段、雅楽を耳にする機会は、神前結婚式くらいなものではないだろうか。そんな雅楽のプロフェッショナルである宮内庁・式部職楽部楽師の豊剛秋(ぶんの・たけあき)さんは、雅楽器で洋楽や現代楽曲を演奏するというエンターテイメント活動を15年間続けている。 去る11月4日、笙(しょう)とヴィブラフォン、ベースによる演奏イベント「響演」が本駒込「龍光禪寺(りゅうこうぜんじ)」にて行われた。お寺の本堂の中央にヴィブラフォンとベースが置かれており、他の奏者が位置に着くと剛秋さんが公家装束(くげしょうぞく)の格好で現れた。 |
両手で抱えた笙の吹き口に息を吹き始めると、耳なじみのいい和の音色が本堂いっぱいに響き渡る。バッハやドビュッシーなど耳なじみのあるクラシックに続きデイヴ・ブルーベックの「トルコ風ブルーロンド」、レイ・チャールズの「ジョージア・オン・マイ・マインド」などJAZZの名曲が次々と響き渡る。ラストはタンゴの名曲が鮮やかに放たれた。アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」、そして「エスクアロ」。 宮中で演奏する際は微動だにしてはいけないという剛秋さんが、サックス奏者のように体躯を折り曲げ、あらん限りの力で演奏し始めると、会場の興奮は一気に頂点へと導かれた。笙から搾り出される音色は、頭で考えるとタンゴとはミスマッチな筈なのに、そのギャップがそこはかとなくエロティックで、人智を超えた宇宙とつながった感さえあった。 |
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豊剛秋さんは1000年来、天皇陛下に仕え宮中音楽を奏でる京都方の楽家(がっけ)に生まれて、現在は39代目に当たる。楽家は世襲制であるが、必ずしも継ぐ必要はなく、剛秋さんの父と祖父の代は途絶えていたそうだ。剛秋さんの意志によって、豊家には100年ぶりに楽師が復活したのである。なぜ、楽師になろうと決意したのだろうか。 |
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「両親の方針で、幼少時からピアノとバイオリンを習っていました。音楽が好きで、全然苦ではなかったです。でも、自分の家系のことは一切知らず、中学生で進路を決める時に、選択肢の1つとしてはじめて教えられたんです。抵抗がないわけではなかったけれど、新たな楽器に触れる好奇心の方が勝って、15歳から、楽家の子息が通う“宮内庁楽部楽師養成課程”に入りました」 |
雅楽器と洋楽器とを巧みに使いこなすことのできる技巧には理由がある。一般ではあまり知られていないが、楽師養成課程のカリキュラムには、驚くべきことに洋楽器も組み込まれているのだそう。 「日本にオーケストラという概念が伝わってきた時、宮中音楽を担当していた楽師に白羽の矢が立てられたのだそうです。海外から天皇陛下あてに要人が来たりすると、燕尾服に着替えてオーケストラに早変わりするんです。面白いでしょう?」 |
R&Bやソウルミュージックが好きで、雅楽器と洋楽器のどちらも使いこなす剛秋さんにとって、雅楽と洋楽とのコラボレーションは自然発生的なもので、まったく違和感はないのだそう。 「音楽は細胞を震わせるもの。だから敷居の高い音楽なんて、ないと思うんですよね。雅楽だってPOPSやJAZZ、タンゴなんかと同じように、心で楽しんでほしいと僕は思います。」 オフの日はソウル・バーで仲間と飲むのが趣味と、笑顔で語る剛秋さん。今後もニュージャンルのコラボレーションを積極的に行い、ライフスタイルにこだわりを持つ若い世代に聴いてほしいという。 |
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/000024/048938.html 日時 平成20年2月2日(土) 午後6時開演 |
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取材・文/華麗叫子
企画・構成/似鳥陽子