“J-フォンブランド”の可能性を考えてみよう神尾寿の時事日想

» 2006年03月27日 10時25分 公開
[神尾寿,ITmedia]

 3月17日、英Vodafone Groupとソフトバンクがボーダフォン日本法人の買収に合意した(3月17日の記事参照)。このニュースは携帯電話業界だけでなく、日本中を駆けめぐった。

 あれから一週間余り。Vodafone Groupからソフトバンクに移行する狭間ということで、先週のボーダフォン日本法人は奇妙な虚脱状態に置かれていた。日常業務は滞りなく進行しているが、プロジェクトのいくつかは停滞。Vodafone Groupの息がかかった社員の中には、「本国帰還の手みやげか、就職活動しか頭にない人間もいる」(ボーダフォン日本法人 関係者)状況だという。ヘッドハンティング会社の活動も、半ば公然と行われている有様だ。

 しかし、その一方で、古くからの日本法人社員達は意外と落ち着いている。Vodafone Groupと縁が切れることを喜ぶ声も少なくない。依然として待遇面への不安の声は聞かれるが、それを上回るのが、これまでのVodafoneの舵取りに対する鬱積した不満や批判だ。その裏返しとして、ソフトバンクによる買収は今のところ大きな抵抗感を持たれていないようである。

 過去から現在に至る大きな不満と、新体制への不安と淡い期待。その中でボーダフォン日本法人は生まれ変わりを待っている。

共通キーワードとしての「J-フォン」

 先週、筆者はボーダフォン日本法人と、ボーダフォンショップを経営する販売代理店、家電量販店などを集中的に取材した。その中で、ある共通キーワードが積極的に語られたことに、今さらながら驚いた。その言葉こそ、「J-フォン」である。

 2001年10月、Vodafone Group傘下に入ったJ-フォンは、段階的にVodafone統治によるサービス改変を行い、2003年10月にブランド名と商号を「ボーダフォン」に切り替えた。また、J-スカイなどJ-フォンブランドで提供されてきたサービス名も、ボーダフォンライブ!というように変更した経緯がある(2003年8月19日の記事参照)

 その後、J-フォンの商標はボーダフォンが所有し続けているが、表舞台で使われたことはない。2年以上の間、眠り続けたブランドである。しかし、それが「かつてのJ-フォンのように」と、未来への希望を持って使われたことに、筆者は少なからぬ驚きを感じた。日本法人の社員や関係者にとって、“J-フォン”の持つ意味は、それほど大きく象徴的なのか、と。

リアルな視点でのJ-フォン採用のメリット

 だが、復古的な感傷ではなく、リアルな視点から考えても、「J-フォンブランドの採用」は検討する価値がある。大きく4つの理由がある。

 1つは「J-フォン」が一時期、革新の象徴だったことだ。1997年にデジタルホンがブランド名「J-PHONE」を使ってからの数年は、同社にとっての黄金期であり、サービスや端末において業界をリードする存在だった。その筆頭は2000年に投入されたカラー液晶/カメラ内蔵携帯電話と、写真付きメール(写メール)サービスだが、他にもJ-フォン初のサービスは多くある。例えば、携帯電話におけるEメールサービスはJ-フォンが1997年に投入した「スカイメール」が草分けだ。留守番電話サービスの無料化や、ロングウェイサポートのような長期利用者優待サービスの嚆矢もまた、J-フォンである。

 そしてJ-フォンは、その革新のイメージが地に落ちない段階で、Vodafone Groupによって封印された。もしJ-フォンブランドをずっと使い続けていれば、auの躍進とドコモの反撃、そして何より3G移行の泥沼でブランドイメージが低下するのは避けられなかっただろう。だが、幸いなことにJ-フォンブランドは絶頂期に冬眠させられている。Vodafone統治によるボーダフォン時代が失敗続きで、悪評がついた事もあり、相対的にJ-フォンは“きれいなまま”でいられたのだ。

 2つめはブランド変更に伴うコストパフォーマンスだ。かつてのボーダフォンへのブランド変更、そして最近のウィルコムの例を見ればわかるとおり、一度定着したブランドや社名を刷新するには莫大なコストと時間がかかる。しかし、「J-フォン」に戻すだけならば、販売店や端末メーカーなど業界関係者はもちろん、ユーザーにとっても既知のブランドである。新ブランドの浸透にかかる時間とコスト、特に広告宣伝費を大きく節約できる。

 特に今年はMNPがある。ウィルコムなど過去の例を見ると、新ブランドが認知され、受け入れられるには、同社の「音声定額」のような牽引力のあるサービスを投入しても半年以上の時間がかかる。MNPまでの残された期間を鑑みると、新ブランドの浸透にかかる時間は無駄どころか大きなリスクになりかねない。またコスト面でも、LBO(3月17日の記事参照)でボーダフォン日本法人を取得したソフトバンクには、ブランド広告などで無駄金を使う余裕はないはずだ。J-フォンを復活すれば、新ブランド導入でかかる時間とカネを大きく節約し、効果的なMNP対策にもなる。

 3つめが携帯電話業界に対するアピールである。Vodafone Groupは日本市場への理解が乏しく、その無理解を覆せなかったボーダフォン日本法人は、端末メーカーや販売代理店との関係を少なからず損なってしまった。特に販売代理店、量販店との関係改善は急務である。今後、ソフトバンク体制下でそれらの改善をしっかりと行うことが前提であるが、そのアピールとしてJ-フォンブランド復活はよいPRになる。端末メーカーや販売代理店の中には、「ボーダフォンになってから悪くなった」という印象が強い一方で、「J-フォン時代はよかった」という声が少なくないからだ。むろん、これは“J-フォン時代には売れたから”という単純なイメージにすぎないが、そういった印象が重要なのもまた事実だろう。

J-フォンの名は社員の士気を向上する

 そして、4つめの理由。J-フォンブランドの採用は、日本法人の士気を大きく向上させるという点だ。これは間違いのない事実であり、しかもお金では買えない価値である。

 先週一週間、筆者は複数のボーダフォン日本法人関係者と会い、この数年間、Vodafoneとの関係で何が起きてきたのかについて聞いてきた。彼らが、どのような気持ちで「ボーダフォン」を運営してきたのか。そして、なぜ、この数年のボーダフォンが不調だったのか。それらの答えが、彼らの言葉に凝縮していた。

 「J-フォンからボーダフォンに変わる時は、率直に『敗北した』という感じがした。J-フォンとしてゼロからコツコツと積み上げてきたものが崩れ去っていく。(ボーダフォン体制への移行後に)そのような気持ちが常にしていたのは事実です」(ボーダフォン日本法人関係者)

 このジレンマに対してVodafoneが示した答えは、高給待遇と早期退職者制度導入という「アメとムチ」だった。だが、これは社員の士気向上には繋がらず、業績悪化でも大きく下がらない給料は彼らの現実感覚を麻痺させただけだった。

 「J-フォンを取り上げられた」。その印象が強い日本法人社員にとって、J-フォンブランドの採用は「復活」であり、社員の結束と今後の再生を促す「象徴」になる可能性が高い。彼らの士気は大きく向上するだろう。

 あるボーダフォン関係者はインタビューの終わりに、「J-フォン(ブランド)に戻れたら、去っていった仲間も戻ってきてくれるかもしれない」と話していた。

覚悟をもってJ-フォンブランドを考えるべき

 むろん、J-フォンブランドの採用にはリスクもある。

 その最たるものが、逆説的であるが、J-フォンへの期待が大きいということだ。業界関係者、ユーザーの両方にとって「J-フォン」はよいイメージで封印されており、しかも過去のものとして美化されている。それを開けるならば、その名に対する期待に応えていかなければならなくなるだろう。特に既存ユーザーに対しては、J-フォン時代を彷彿とさせる顧客重視のサービス体制を打ち出す必要がある。ボーダフォン日本法人はVodafone時代の澱を一掃し、ソフトバンクは不退転の決意で携帯電話事業に臨む。そのくらいの覚悟がなければ、J-フォンブランドの採用が裏目に出る可能性すらある。

 だが筆者は、それでもソフトバンクとボーダフォン日本法人に「J-フォンブランドの採用」を真剣に検討してほしいと思う。それは復古的な感傷ではない。J-フォンブランド採用は、コストと時間の節約を実現する合理的な選択肢であり、新体制に関わる社員の士気と責任感を高めることに繋がるからだ。「J-フォンの名に恥じない」気持ちと覚悟でサービス品質やサポート体制の改善が行われれば、それはユーザーにとっても大きなメリットになる。

 J-フォンブランドの可能性。当事者だけでなく、業界全体とユーザーも含めて、考える価値があるのではないだろうか。

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