第60鉄 お魚市場とメンチカツと水戸藩の歴史とモコモコの丘――ひたちなか海浜鉄道杉山淳一の +R Style(3/6 ページ)

» 2013年12月12日 07時55分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

那珂湊は水戸光圀公ゆかりの地だった

 橋を引き返すと、正面に丘がある。案内図によると、これが徳川光圀公の別荘跡だという。現在は公園として開放されている。汗をかきつつ上っていくと、緑が多く、気持ちのよい風が吹いた。光圀公の別荘は現存しない。尊王攘夷運動のひとつ、1864年の天狗党の乱で焼かれてしまったそうだ。しかし、光圀公が須磨明石から移殖させた樹齢300年の黒松が残っている。

水戸光圀公の別荘だった公園。銅像は黄門様……ではなく、旧那珂湊市初代市長の宮原庄助氏

 公園の丘を降りて、華蔵院という大きなお寺を通る。通行料のつもりでおさい銭を投げて参拝。ここも江戸時代から信仰を集めたお寺だという。那珂湊は江戸時代水戸藩に由来する名所が多いらしい。再び川沿いを歩くと和菓子屋さんを見つけた。ちょうど甘いものが欲しくなったところだ。店先のポスターに「反射炉のてっぽう玉」と書いてある。なんだろう。お店の人に聞いてみたら、大砲の弾にちなんだ飴玉とのこと。ひと袋買ってみた。黒糖を使った真ん丸の飴だ。おいしい。それにしても反射炉とは……。

お散歩のお供に「反射炉の鉄砲玉」

 「この先に江戸時代の反射炉があるんですよ。復元ですけど」

 案内図にも書いてあった。よく見ると、私は案内図とは逆の道順をたどっていた。反射炉を見てからこの店に来れば納得だったはずだ。

 さらに川沿いを歩いて反射炉へ。手前に門があり、江戸小石川の水戸藩邸の門を移築したとのこと。看板には西郷隆盛ほか幕末の志士たちがこの門をくぐったとある。志がなくて恐縮しつつ、その門を私もくぐった。そして反射炉。かなり大きな煙突がふたつ。水戸藩第九代藩主徳川斉昭が、那珂湊を黒船から守るための大砲を鋳造するために作ったという。

那珂湊の反射炉(復元)。幕末、沿岸部を脅かすようになってきた黒船に対抗すべく、大砲を鋳造するために作った金属溶解炉だ

 ひたちなか海浜鉄道を訪ねる旅が、水戸藩の歴史探訪になった。意外な発見だ。なんだか那珂湊を詳しく知り、知識で征服したような気分である。いや、まだだ。歩きまわったらさすがにお腹が空いた。肉だ。肉を食わねばならぬ。

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