インタビュー
» 2013年11月27日 18時15分 UPDATE

G-SHOCK 30TH INTERVIEW:転換点となったG-SHOCK、カシオはスマートウオッチを作るのか――増田裕一さん (1/5)

G-SHOCKインタビュー連載、最終回は、初代G-SHOCKの商品企画を担当し、以来ずっとカシオの時計事業を中から見続けてきた事業部長、増田裕一氏だ。30年間のG-SHOCKの歴史でターニングポイントとなったモデルとは? ブームの終わりをどう乗り越えたのか? 1万2000字以上のロングインタビューをお届けする。

[吉岡綾乃,Business Media 誠]

 今年で30周年を迎えたG-SHOCKの歴史を探る本インタビューシリーズ、最終回は、カシオ計算機時計事業部長の増田裕一氏。増田さんはG-SHOCKだけでなく、OCEANUSやPRO TREK、Baby-Gなど、同社の腕時計事業全般を見る立場にある。

 1983年、当時まだ20代半ばだった増田さんが商品開発担当としてかかわったのが、「DW-5000C-1A」。年齢も近く親しかったエンジニア、伊部菊雄さんが開発した初代G-SHOCKである。

ay_g01.png G-SHOCKの出荷数量は1997年がピークだった。2012年には海外出荷数が過去最高になり、1997年に近づいている。青が国内、赤が海外、緑が全体(クリックすると拡大して詳細を表示)

 G-SHOCKの歴史は「壊れないデジタルウオッチ」として始まった。当初1980年代は日本よりも米国で売れる時期が長く続き、発売から15年近く経った1997年ごろに日本でのブームを迎えることになる。新商品の発売日には行列ができるのが当たり前、というブームを過ぎると、売上台数は急落した。2001年ごろには同社の時計事業は売上高がピーク時の3分の1、赤字スレスレまで落ち込むが、その後G-SHOCKはいくつかのターニングポイントを経て復活していく。現在はアナログモデルのラインアップを増やし、出荷数量も急速に回復中。2012年にはピーク時に迫るレベルまで伸びている。

 →「30年経った今だから話せる、初代G-SHOCK開発秘話――エンジニア・伊部菊雄さん」(参照記事)

 初代G-SHOCKから30年。これまでカシオでずっと時計ビジネスに携わってきた増田さんは、この30年をどう振り返り、これからどんな時計を作ろうと思っているのだろうか?(聞き手:吉岡綾乃)

「G-SHOCKブーム」が去ったときに考えていたこと

ay_casio000.jpg カシオ計算機時計事業部長、増田裕一氏

――30周年を振り返って、今思っていることをうかがいたいのですが、いかがでしょうか?

増田: われわれカシオの時計事業で、いろんな面で貴重な経験を生み出してくれたのがG-SHOCKです。今から30年前、「腕時計というのは壊れやすい精密機械だから、大事に扱わないといけない」とみんなが思っていた時代に、落としても壊れない、どこに持って行っても大丈夫なタフなウオッチを作ろうという発想からG-SHOCKは始まりました。そして、耐衝撃性にこだわったがゆえにユニークなデザインができました。そのデザインが、今度はファッショナブルなものとして若い人たちの目に新鮮に映り、今に至っています。振り返ればG-SHOCKは、時計業界において、それまでの常識が覆されるような、そういうデザインを作り上げられたんじゃないかと思ってます。

 もうひとつは、G-SHOCKに絡めたマーケティングですね。今は各国で「SHOCK THE WORLD」というイベントをやっていますが(参照記事)、G-SHOCKは、時計以外も含め、カシオのいろんなプロモーションや宣伝のやり方を変えました。

 後は……カシオは時計事業には遅れて参入したわけなんですよ。スイスのブランドが既に成功しつつある中に後から参入した。その時に同じようなことをやっていてはダメだということで、アナログではなくデジタルから入っていきました。われわれが今、時計業界の中である程度のポジションを占めているのも、G-SHOCKでのいろんな経験がその後の戦略に役立ったからですよね。もともとカシオが時計事業をスタートした時はデジタルが中心でしたが、今は売上としてはアナログモデルの方が多いんです(参照記事)。最近、アナログを広げてきたのも、G-SHOCKブームが去った後、ガタガタと売上が急落した時のインパクトが、われわれの事業の根本的戦略を見直していかないといけないことを教えてくれたから。そういう意味では事業戦略にも役立ちましたね。

――ブームが過ぎて売上が急落した時に、事業の根本的な見直しをして盛り返したということですが、普通だったらブームが終わったらそこでG-SHOCKの歴史も終わったと思うんですよ。でも、もう一回違う路線で盛り返したのがすごいな、と。その時に増田さんは、どういう方針を指示していたのですか?

増田: よく言っていたのは「原点に戻ろう」というメッセージですね。G-SHOCKはファッショナブルなものとして、ある意味広がりすぎたために、みんな同じようなものに見えてしまう。そういうものを一度全部忘れて、改めて原点に戻ろうと考えたのです。G-SHOCKの原点は何かというと、「耐衝撃」なんですね。“性能”という基本的な部分に戻った時にどんなデザインが出てくるのか。そしてただ同じところに戻るんじゃなく、電波時計やソーラー(太陽光発電)といったその時のもっとも進んだ技術を絡めて、もう一回基本の部分でキチッとしたものを作っていこうということは言いましたね。

原点にかえったG-SHOCK「The G」

ay_casio01.jpg 2003年発売「The G」(GW-300J-1JF)

――増田さんから見て、G-SHOCKが原点に返った機種とはどれだったのでしょう?

増田: (2003年発売の)「The G」と呼んでいたモデルですかね。あまり飾り気のないモデルで、もちろん耐衝撃性能、防水という基本的なところはしっかりしています。電波ソーラーを載せたG-SHOCKなので、電池交換を気にしなくていいし、(電波で自動的に時刻合わせをするので)時刻も一切ケアしなくていい。これが基本の部分ですね。

 防水性もその当時で一番最高の20気圧、200メートル相当の防水性です。そしてもちろん耐衝撃性。電波ソーラーにG-SHOCKの耐衝撃性を組み合わせたThe Gは、どこへ持っていっても壊れないし、時間に対してもバッテリーも一切気にしなくていい。それが原点という考え方であり、打ち出していきました。

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