2013年で30周年を迎えたG-SHOCKの歴史を振り返るインタビュー連載。これまではカシオ計算機社内でG-SHOCKに携わった人々の話を聞いてきたが、今回とその次は視点を変えて、G-SHOCKファンに登場していただこうと思う。
第7回目となる今回お話を伺ったのは、雑誌『腕時計王』の編集長、柿原孝好さん。1967年生まれで今年46歳、現在は5本、多いときには20本以上のG-SHOCKを所有していた時もあるという柿原さんは、どんなモデルに思い入れがあるのだろうか?(聞き手:吉岡綾乃)
――柿原さんが、最初にG-SHOCKを買ったのはいつ頃でしたか?
柿原: 高校生の時、15歳くらいだったと思うのですが、初めて買った時計がG-SHOCKで、今思えば初代モデルでした。その時はG-SHOCKという名前は認識していなくて「電気がつく、珍しい時計」と思って買いました。
――電気がつく時計、とは?
柿原: まだELバックライトになる前でしたからね。「ムギ球」と言うのですが、小さな電球が入っていて、ボタンを押すとその電球がつくんです。小さい電球がつくのが珍しくて……ふとんの中で電球をつけてみたり、自転車のハンドルに(G-SHOCKを)付けて走ったりして楽しんでいました。
――なるほど、G-SHOCKなら自転車につけて走っても壊れないですものね。
柿原: 結婚するときに、妻からもらった時計もG-SHOCKでした。「AW-500」の日本限定モデルというのがあったんです。文字盤が緑色の。90年代後半はいろんなモデルがあったので、僕もいろいろ持っていました。FROGMANとか好きでしたね(参照記事)。限定モデルが欲しくて並んだりもしましたよ。
――90年代後半というと、ちょうどG-SHOCKブームの頃ですよね。当時どんな感じだったんですか?
柿原: ブームの頃はファッション誌の編集部にいたので、限定モデルの情報はマメにチェックしてました。「明日、ナントカ店に限定モデルが何本入るらしいよ」なんて情報が入ると、開店前からお店に並んで……。最近だと「新しいiPhoneが出る」というと前日からショップに並んで買ったりしますよね。ちょうどあんな感じです。
――特に印象に残っているモデルはありますか?
柿原: 「DW-5400C」は気に入ってましたね。型番の最後に「C」ってつくと、裏ぶたがスクリューバックなんです。「E」だとねじ止めなんですが、防水でスクリューバックっていうのがいいんですよね。DW-5400系は好きで、数回買っています。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング