「遺産」はこうして受け継がれる――リンドバーグの航空時計LONGINES HERITAGE COLLECTION(1/2 ページ)

» 2013年06月25日 11時00分 公開
[篠田哲生,Business Media 誠]

著者プロフィール:篠田哲生(しのだ・てつお)

1975年生まれ。時計ライター。講談社『ホット ドッグ・プレス』を経て、フリーランスに。時計学校を修了した実践派で、時計専門誌からファッション誌、Webなど幅広い媒体で時計記事を執筆。高級時計からカジュアルウォッチまでを守備範囲とし、カジュアルウォッチの検索サイト『Gressive Off Style』のディレクションも担当。著書に『成功者はなぜウブロの時計に惹かれるのか。』(幻冬舎)がある。


 1832年に創業したロンジンは、スイス屈指の名門時計メーカーとして知られる存在だ。数あるコレクションの中でも特に評判が高いのが、過去の遺産(ヘリテージ)を引用する「ヘリテージ コレクション」。世界初の大西洋無着陸単独横断飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグとともに生み出した「アワー アングル ウオッチ」は、ロンジンの偉大なる歴史を雄弁に語る傑作である。

進化する時代が求めた新しい航空時計

チャールズ・リンドバーグ チャールズ・リンドバーグは1902年米国ミシガン州生まれ。米陸軍航空隊を経て民間の郵便輸送パイロットに。25歳の時に世界初の大西洋無着陸単独横断飛行を成功させた。愛機は「スピリット オブ セントルイス号」。1974年にハワイ・マウイ島で死去。

 テクノロジーが進化し、移動手段や道具が向上した20世紀初頭は、未開の地を目指す“冒険の時代”だった。しかし極地探検では、無線などの電子機器だけに絶対の信頼を置くのは難しい。そこで高精度機械式時計も、大切な計器のひとつとして活躍していた。

 そのような極限の世界で、ロンジンの懐中時計やクロノメーターが重宝されたのは、コンクールで優れた成績を収めていたという信頼性やスポーツ計時という失敗が許されない世界で活躍しているという実績があったからだろう。20世紀初頭の冒険は、ロンジンと切っても切り離すことはできないのだ。

 1927年。1人の青年パイロットが偉業を成し遂げた。彼の名はチャールズ・リンドバーグ。スピリット オブ セントルイス号に乗り込み、世界初の大西洋無着陸単独横断飛行を成功させた。

 このとき、リンドバーグとロンジンが初めて交流を持つ。ロンジンは1923年からFAI(国際航空連盟)とAAA(米航空協会)のオフィシャルウオッチになっており、世界各地で行われていた飛行記録の公式計時を担当していた。当然リンドバーグの挑戦に対しても計時を行っていたのだ。

 前人未到のチャレンジを成功させたリンドバーグだが、機内に持ち込んだ計器や時計は、実は他社のモノだった。しかし、その使い勝手に不満を抱いていたという。

 当時の飛行機は燃費の問題もあって長距離飛行に向いていなかった。そのため飛行中に方向をする際も、事前に詳細な地図で定めたチェックポイントを結ぶように飛行する「推測航法」が主流だった。しかし、計器で移動距離と風向きを計測し、コンパスで方向を決めるこの方法は、周囲に何も見えない大洋上を飛行するには向いていない。

 今後は大陸間を飛ぶ長距離飛行が主流になると考えたリンドバーグは、まったく新しいパイロットウオッチのアイディアをFAI(国際航空連盟)に送付。それを見た担当者は、その時計の重要性を理解し、早速ロンジンに時計製造を依頼するのだった。

直筆スケッチ アワーアングル機構を考案した際の、リンドバークの直筆スケッチと、それを基に生まれた「アワー アングル ウオッチ」のオリジナルモデル
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