2011年10月に発生したタイ大洪水によってカシオの時計工場は浸水し、一時は生産活動停止にまで追い込まれた。しかし翌年3月に新工場にて生産を再開し、生産量は徐々に向上。現在は被災前の約80%の水準に持ち直し、9月までには100%に達する見通しだ。
新工場については前回の記事で詳しく紹介したが、今回は洪水からの復興と工場の移転、今後についてカシオタイ代表取締役の狩佐須完夫社長に話を聞いた。
→G-SHOCKのふるさとを訪ねる――カシオタイ工場フォトレポート
――カシオタイ工場の現在の生産体制は?
狩佐須 被災したナワナコン工業団地の工場から、2012年3月に東北部のコラート地区(ナコンラチャシマ県)にある新工場に移転しました。スペースのキャパシティは月産で100万本、設備としては70万本の能力がありますが、現在、実際に生産しているのは月産50万本です。
――被災したナワナコンで復興せず、新たにコラートに移転した理由は?
狩佐須 堤防を作るといった洪水対策案が政府から出されていましたが、それでも今後のリスクがなくなるわけではありません。ナワナコンで復旧するよりも、洪水がない場所を選んだほうがベターという判断です。実はこの新しい場所は、もともとここでで生産を行う計画がありました。会社として事業を伸ばしていく中で、さまざまな工場を物色していたのです。
また復興のタイミングも判断の大きなポイントでした。ナワナコンで復興するには、水が引くのを待たなければなりません。全部を処分して、改築するには、半年はかかります。これらを総合的に判断して、コラートへの移転を決めました。
――ほかの国に移転する案もあったのでしょうか。
狩佐須 それはありません。タイはとても魅力のある国です。タイの人たちは仏教国らしい人間性に満ち、従業員たちからは真面目さや勤勉さを感じます。現に、こうして復興できたことも従業員たちのおかげです。
移転が決まったあと、ナワナコン工場の従業員に対して個人面談を行い、住宅手当などの条件を伝えたうえで、希望者については一緒にコラートに来て下さいと言いました。250キロ以上も離れた場所ですから、従業員たちにとってもたいへんな選択です。しかし、みんな前向きで、非常に協力的に捉えてくれました。中には「カシオは第2の家族だから」(と言って)一緒に来てくれるという人もいました。現在いる1100名のうち、約300名はナワナコン工場時代から勤めている人たちです。彼や彼女たちの働きこそ復興の最大のファインプレーといえます。
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