初代G-SHOCK「DW-5000C-1A」が誕生したのが1983年(参考記事)。当時の腕時計の売れ筋に逆行していたG-SHOCKは日本ではあまり話題にならなかったが、米国でその丈夫さが評判を呼び、米国では人気が出たのに日本ではほとんど売れないという状態が10年以上続くことになる(参考記事)。
1995年、米国でのヒットを逆輸入する形で日本でもG-SHOCKブームが起き、2000年ごろまで続いた。このときブームを仕掛けたのが、1994年からG-SHOCKの商品企画を担当し、現在はカシオアメリカで会長と社長を兼任する伊東重典氏である(参考記事)。
G-SHOCKに関係してきた人物をインタビューする本企画。今回は番外編として、インタビューではなく、90年代後半のG-SHOCKを写真とともに振り返る。コメントをいただいたのは、伊東氏とともに商品企画部でG-SHOCKの企画に携わった田中秀和氏だ。
「落ちても壊れない、丈夫な時計」としてデビューしたG-SHOCKは、1990年代後半、“ファッショナブルなカジュアルウォッチ”という顔を持つようになる。ファッションや音楽、スポーツなどの要素を生かして、さまざまなモデルを展開していったのだ。これが次々とヒットした。
G-SHOCKが「ファッショナブル」というイメージを得るために、ターニングポイントは2つあった。1つは「カラー化」。それまでG-SHOCKのボディはすべて黒だったが、伊東氏は鮮やかな赤・黄のカラーモデルを企画した。外装パーツが樹脂であることを生かして、その後もさまざまな色のG-SHOCKが生まれ、後には半透明な「スケルトンモデル」も登場する。
単発のヒット商品が出ただけでは、ブームを数年間続けることは難しい。もう1つのターニングポイントは、従来の定番モデルに加えて、「ユニークな企画の限定モデルを、たくさんの種類少量ずつ販売する」というスタイルを確立したことだった。企画モデルとしては、G-SHOCKとBaby-Gのペアモデル「Lover’s Collection」がスタート、大ヒットしたのもこの時期だ(1996年)。
当時のG-SHOCKはほとんどが2万円以下。腕時計としては手ごろな値段だ。ユニークな商品が数量限定で季節ごとに販売されるので、ファンはコレクションしたくなる。実際、たくさんのG-SHOCKを所有するコレクターは珍しくなく、一部のモデルはネットオークションなどで高額で取引されている。
ブームを支えた限定モデルは、「テーマモデル」と「コラボモデル」に大きく分けられる。テーマモデルとは、カシオ社内で何らかのテーマに沿って企画したG-SHOCK、コラボモデルはアパレルメーカーなど、他社と組んで企画・販売するG-SHOCKを指す。
当時カシオ社内では、さまざまなテーマモデル、コラボモデルが毎月企画されていた。「テーマは大きく5つありました。ファッション、音楽、ファウンデーション、スポーツ、カルチャーです」(田中さん)
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