世界一忙しい空港からの報告秋本俊二の“飛行機と空と旅”の話(3/4 ページ)

» 2012年08月07日 08時00分 公開
[秋本俊二,Business Media 誠]

最初の出発便の行き先は?

 現地時間の正午ちょうどに、F7のゲート前でオープニングセレモニーが始まった。国内外から数多くの報道関係者が集まっている。この新ターミナルから最初に出発するのは、DL295便。同便の機長らによるリボンカットのあと、私たち記者は出発便を見送り、その40分後に最初に到着するアイルランド・ダブリンからのDL177便を迎える手はずになっていた。

飛行機と空と旅 セレモニーがスタート。左から2番目がデルタ航空のリチャード・アンダーソンCEO

 しかし私は、出発便の見送りはせず、リボンカットの撮影までで取材は打ち切りにした。記念すべき最初の出発便──DL295便は、私が乗ることになっていた成田行きだったからだ。もう少し取材を続けていたかったが、多くの記者仲間に見送られて飛び立つという経験も、めったにできることではない。ゲート前で地元のテレビクルーにインタビューを受け、顔見知りの記者から「よいフライトを!」と声をかけられながら、私は成田行きのボーイング777-200に乗り込んだ。

飛行機と空と旅 成田への路線で運航されるボーイング777-200(撮影:チャーリィ古庄)

 ところで、ここアトランタになぜ世界一巨大な空港が誕生するに至ったのだろうか?

街のダイナミズムの象徴

 かつて米国の東海岸から内陸へと開拓が進んだ1830年代。人や物資を輸送するための重要な手段として鉄道が敷かれ、その路線網はまたたく間に発展を遂げる。サバンナの港から、ニューヨークやシカゴから、そして西部方面からも路線が延びて一点に交わった街──それがアトランタだった。アトランタの地名には「Western & Atlantic(鉄道で大西洋に通ずる街)」という意味が込められている。

 その後はモータリゼーションの波に押され鉄道は徐々に廃れていくが、この街のエネルギーが失われることはなかった。車が移動や輸送の手段になると、今度は各方面からのハイウェイがアトランタに集中。そして、やがて航空機時代が訪れると、アトランタは一転して“空の十字路”として発展することになった。

飛行機と空と旅 高層ビルなどが建ち並ぶアトランタのダウンタウン。日本からの進出企業も多い

 アトランタには全米の大企業トップ500社のうち450社が拠点を置いているという調査結果もあり、海外や日本からの進出企業も少なくない。アトランタ国際空港の広大な敷地内には複数の管制塔が設置され、5本ある滑走路のうち同時に3本から、デルタ航空をはじめ各社の航空機が世界に向けて次々に飛び立っていく。こんな光景は、他ではまず見られない。壮観そのものである。1日の平均乗降者数が25万人以上──この“世界一忙しい空港”は、アトランタの街がもつダイナミズムのまさに象徴といえるだろう。

飛行機と空と旅 アトランタ国際空港に隣接するデルタ航空本社

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