第51鉄 キハ52と保存車両とホタルトレイン――房総横断ローカル線紀行(後編)杉山淳一の+R Style(5/6 ページ)

» 2011年07月12日 11時34分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

 ホタルウォッチングトレインは県外のお客さんが多いようで、往路の車内放送ではいすみ鉄道の紹介が行われた。赤字であること、再建の努力が続いていること、昨年秋に存続が決まったこと、「どうかお土産を買ってください、復興応援切符も買ってください……」乗客たちはホタルへ期待しつつ、いすみ鉄道の状況を聞いて複雑な表情になっていた。それを察してか案内係氏は、「みなさん、紫陽花が咲いています。帰りは真っ暗で見えませんから今のうちに!」と和ませ、「この先の鉄橋の下でムーミンが釣りをしています。でもみなさんがいっぺんに見ようとして片側に集まると、列車がひっくり返っちゃう!」と笑いを誘う。

 ホタルウォッチングの最寄り駅は豆電球で装飾されて、ささやかながらホタルらしい演出だ。ここからは貸切バス3台に分乗する。しばらく走ると、真っ暗な場所で降ろされる。いすみ鉄道の職員と警備員さんの誘導で細い道を歩いて行くと、川がカーブしたところに橋が掛かっている。ここがホタル出現場所だという。

ホタルウォッチングの最寄り駅。ホタルのあとは紫陽花のシーズンになる

はかなく光るホタルたち

 深い群青色の空の下、まだ何も起こらない。200を超える人々が静かに待っている。飽きてきた幼児がぐずり始める。その時だった。「あっ見えた、光った」と私のそばの少年が指さした。しまった。見逃した。でも、しばらくすると、確かに光った。ひとつ……またひとつ。川の奥のほうから、白くて小さな、しかし強い光点が現れて、消えた。

 「これからどんどん増えてきますよ。そしてこちらに寄ってきます」と案内係氏が言う。一粒ずつの光の点は、10になり、30になり……、もっと増えてきた。そして100を超え、ふわふわと川の奥から手前へと広がっていく。一斉に光り、そして消える。華やかで儚い光の粒子たち。これは言葉でどう表現したらいいんだろう。「すごい」「きれい」では伝わらない。澄んだ空気の中で見上げた夜空を、いま地上に再現したらきっとこうなる。しかし、かつて歌人はどう詠んだか。詩人はどうか。自分には書き表せないという悔しさに打ちのめされそうだ。

 ホタルたちの光はかなり強いが、カメラには捉えられない。プロのカメラマンなら撮れるのだろうか。少なくても私のコンデジの性能では無理だ。テレビの科学番組で使うような高感度カメラなら、たぶん光そのものは残せるだろう。でも、それはこの暗闇の中の光の舞いとは程遠い映像になるはずだ。

 そして哀しいかな、カメラの限界を疑わない人々がフラッシュを炊く。デジカメやケータイカメラの設定画面をいじる人がいる。液晶のほうが明るく周囲を照らして、せっかくの幻想的な風景が台無しだ。LED懐中電灯でカメラを照らす人までいる。いったい何をしているんだこの人たちは……。下ばかり見て、目の前の光を見ようとしないのか。

 私はデジカメの設定画面を見に来たわけじゃない。フラッシュをたく人を見に来たわけでもない。ホタルを見に来たんだ。だからカメラは諦め、ホタルを見よう。世の中には、デジタルではとらえられない物事がいっぱいあるんだ。それは多分ホタルだけではない。私たちはもしかしたら、この世のすべてをデジタルなデータに残せると思っていやしないか。自分の目で見たこと、聞いたこと。真実はそこにしかないはずだった。

 遠くに見えるホタルの光は白く、しかし、ふらりとこちらに寄ってくるホタルの光は緑色であった。遠くと近くで色が違って見える。それをデジタルでどう表現できようか。でも心には残った。それでいいじゃないか。

 真っ暗な帰り道、前を歩く父親が手のひらを高く掲げた。一粒の光が仲間の元へ帰っていく。「え、捕まえたんですか」と思わず声を出した。「パパが捕まえてくれたんだよ」と男の子の声が聞こえた。ああ、この人たちは正しい。きっとこの子は今夜の思い出を心に留め、なんどでも思い出せるだろう。そして事あるごとに誰かに伝えていくだろう。そして、言葉で伝えるよりも、「一緒に行こう」と誘うほうが大事だと知るはずだ。

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