第15鉄 利府支線で行く、仙台のミニ鉄道博物館杉山淳一の +R Style(1/3 ページ)

» 2009年10月17日 08時30分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

 時刻表地図の仙台あたりを見ると、東北本線からちょっとだけ延びた小さな路線が見つかる。岩切−新利府−利府の3駅を結ぶ路線は「利府支線」または「利府」線と呼ばれている。なんでこんなところに短い線路ができたのだろう、と不思議に思うが、実はここ、かつては東北本線だった。今から約120年前、東北本線はここ利府駅を経由して松島を結んでいた。しかし、輸送量の増加に対応するために、現在の東北本線のルートが建設された。その後、旧線は利府から北を廃止して現在の形になったのだ。

今回のルート(GoogleMapsで、筆者による地図のコメントと説明を読むことができます)

たった4.2kmの車窓のほとんどは、東北新幹線の車両基地

 仙台駅。長大な東北本線下りホームに、2両編成の電車が停まっている。行き先は「利府」。旅人には耳慣れない駅名かもしれないが、この電車の車窓こそ、鉄道ファンにはおススメである。仙台駅から岩切駅までは約10分。岩切で東北本線と別れたあと、利府支線は東北新幹線の車両基地の真横を通るからだ。

 岩切駅のホームは駅舎から最も遠い。既に線路は東北本線とは別れていて、ホームの先は左へゆるくカーブしている。よく見ると、低いホームの残骸がカーブに沿って続いている。これは蒸気機関車時代にこちらが本線だった証拠だ。現在使われているホームは電車の乗降口に合わせてかさ上げされている。電車が走り出すと、低いホームの先端に東北新幹線の橋げたが刺さっていた。

岩切駅。隣のホームにレール運搬専用貨車が停まっている

 岩切から先、利府支線の車窓は左右でまったく異なっている。右側は一面の水田だ。宮城の米と言えば「ササニシキ」と「ひとめぼれ」。この田んぼがどちらかは分からないが、このあたりが豊かな米どころなことは確かである。初代仙台藩主の伊達政宗は新田開墾に力を入れた。仙台藩の石高は、政宗の着任当初は58万石だったが、後に「伊達62万石」と言われるほどとなる。しかし、これは徳川幕府に申告した石高であり、実際の石高は300万を超えていたという。仙台藩の米は「本石米」と呼ばれる。一時期は江戸の米の7割が本石米になり、仙台藩の作付けが江戸の米相場を左右するほどだった。

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