第8鉄 都心から30分で海を見に行く――鶴見線・終着駅めぐり杉山淳一の +R Style(2/4 ページ)

» 2009年06月25日 15時00分 公開
[杉山淳一,ITmedia]

 1つ目の終着駅、鶴見線本線の扇町駅へ。ところが電車はなかなかやってこない。夕方のラッシュ時でさえ1時間に3本。12時13分から16時13分までは2時間おきだ。完全に工場の通勤者に合わせたダイヤになっている。これも鶴見線の見所「大都市なのにローカル線の風情」である。携帯電話か文庫本か、退屈しのぎの道具がほしくなる。いや、周囲を見渡せば、孤高に生きてきた眼の鋭い野良猫を観察できるだろう。鶴見線沿線には、住宅街の公園にいるノラちゃんとは違う、ハードボイルドな猫が多いと思う。

扇町駅。ガスタンクとクレーン車が工場街の雰囲気(左)。扇町駅にいた野良猫。ハードボイルドだ(右)

 銀色ボディ、3両編成の電車に乗った。鶴見線といえば、関東では最後まで茶色い旧型国電が走ったことでも知られている。しかし今はご覧の通り。近代化され、冷房車になっている。閉じたままの窓ガラスから見える景色は、右にタンク車が並ぶ貨物基地、左はJFEスチール製鉄所。京浜工業地帯のど真ん中である。関係者でなければさっぱり用途の思いつかない、見慣れぬ形状の施設が並ぶ。運河を渡れば昭和駅。昭和レトロな街並みがあるわけではなく、昭和電工の大きな工場に沿っている。その工場敷地の終わりに扇町駅がある。線路はまだ先があるけれど、人を乗せて走る線路はここまでだ。駅前をぐるりと歩けば、遠くに巨大なタンクや城壁のような建物が見える。戦前、戦後を通じて日本を支えた京浜工業地帯の力を感じる。

車窓からはさまざまな施設が見える。鶴見線ならではの眺めだ

海芝公園は大企業の粋なはからい

 引き返して浜川崎駅を通り過ぎ、次の乗り換えは安善駅。工場街だから「安全」ではない。安善という駅名は、安田財閥の創始者、安田善次郎に由来する。鶴見線にはほかにも、浅野駅が浅野財閥の浅野総一郎、武蔵白石駅が日本鋼管の創始者白石元治、大川は製紙王と言われた大川平三郎に由来するという。鶴見線の駅は日本の近代工業史の人名事典のようである。遠い世界のようだが、安田善次郎はジョン・レノンの奥様、オノ・ヨーコさんのひいおじいちゃんだと聞けば、ちょっと身近に感じるかもしれない。ただし、鶴見線の風景はビートルズと言うより、尾崎豊の「BOW!」そのものだと思う。

安善駅。夕刻のラッシュが始まっていた

 安善で大川行きに乗り換えた。電車は今来た道を逆戻り。なんと、手前の武蔵白石まで戻って分岐する。1996年までは武蔵白石に小さな三角ホームがあって、大川支線はここから終点まで1駅の短い区間を往復していた。かつては1両の茶色い旧型国電で、僕は外板のリベットのデコボコと、車内のワックスの匂いを覚えている。時は過ぎ、今は3両編成の銀色電車が鶴見駅まで直通するようになった。しかし相変わらず、本数は少ないままだ。

 単線の大川支線も工場群に隣接して走っている。工場の出入口と公道の間に線路があるので、踏み切りそのものが守衛所のように見える。電車がそこを通過するとき、車掌さんと守衛さんが手を振ってあいさつする。会社は違えど、同じ土地で働く仲間。それぞれが自分の領域の安全を任される立場だ。そんな二人のさりげないあいさつ。そのしぐさには、職人同士のキリッとしたかっこよさがある。

大川支線が遠ざかる。守衛さんと車掌さんのあいさつは、毎日繰り返される

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