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なぜチロルチョコは成功したのだろうか?(1/2 ページ)

1辺わずか3センチに満たない正方形のチロルチョコ。コンビニなどでついつい手を伸ばし、買ってしまう人も多いのではないだろうか? そこでチロルチョコの誕生経緯や人気の秘密に迫った。

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著者プロフィール:笠井清志

船井総合研究所シニアコンサルタント。複数企業でキャリアを磨き、船井総合研究所の経営コンサルタントとして従事する。コンビニ本部等の多店舗展開チェーン企業へのコンサルティングを中心に活動。クライアント先である「NEWDAYS」の平均日販を日本一に押し上げたことが話題になる。月刊コンビニ(商業界)で連載を持つほか、著書に『コンビニのしくみ』(同文館出版)や『よくわかるこれからのスーパーバイザー』(どちらも同文館出版)がある。


 今回は、コンビニなどでついつい手を伸ばしてしまう「チロルチョコ」のヒットの要因をチロルチョコの松尾利彦社長に話をうかがっている。このチロルチョコはどのように誕生したのだろうか。なぜ誕生してから、これまで人気を誇っているのだろうか? チロルチョコの誕生経緯や人気の秘密に迫った。

 1辺わずか3センチに満たない正方形の一粒のチョコ。これまでのチロルチョコの種類は、味の分類だけで150種類以上。ミルク、チョコ、きなこもち、さまざまな味の「チロルチョコ」のコアファンは多い。

 なぜ、これほどまでに人気があるのか。なぜ、これほどの長い期間、消費者に愛され続けてきたのだろうか。

チロルチョコ誕生

 チロルチョコが誕生したのは1962年、福岡県田川市の松尾製菓の2代目社長、松尾喜宣氏が、当時、チョコレートの価格が約100円であった時代に、子どもたちでも買えるようにと10円という価格で駄菓子屋にて提供することを打ち出したのが始まりであった。当時のチロルチョコは、3つ連なった細長い「チロルチョコ」であり、10円という価格に見合わせるために、砂糖と水あめを煮詰めて作ったヌガーを中に入れていた。これが、またたく間に子どもたちに愛され、手軽でおいしい菓子として、人気を博した。

 しかし10年続けた10円という価格が、1973年のオイルショックによって、価格を20円、30円と値上げすることを余儀なくされ、売行きに影響を与えた。1979年、売上低迷を打開するために松尾喜宣氏は、原点の10円に立ち返ろうと、「3つ山」を「1つ山」に分割し、再び10円での販売を開始。これが現在の形となっている。

コンビニへ展開し、急成長

 一粒チョコとしての販売も軌道に乗ったが、新たな問題が松尾製菓を待っていた。バブル期以降、街の駄菓子屋の数の減少である。駄菓子屋を販路としていた松尾製菓は、販路縮小に悩まされることになった。

 その同時期に2代目社長の松尾喜宣氏が体調を崩し、急きょ、社長就任したのが、現3代目社長である松尾利彦氏である。

 就任当時、松尾利彦氏が、この販路縮小及び子どもの減少にともなう商品の脱皮から考えた施策が「3拡運動」である。その施策は「販路」「ターゲット」「エリア」の拡大である。そこで、駄菓子屋に変わる新たな販路としてコンビニエンスストアに目を向けた。

 そこで興味を示したのが、セブン-イレブンである。当時のセブン-イレブンの担当バイヤーの企画で北海道でのテスト販売が実現し、そこで好調な結果を得る。それをきっかけにして全国展開へとつながり、購買層も拡大していった。

 セブン-イレブンでは、1日に400個も売れる店が現れるなど、人気を呼び、チロルチョコの名は全国的に知られていくようになる。こうして、コンビニと言う有力なチャネルを得た結果、チロルチョコは売り上げを飛躍的に伸ばしていった。

 その後、2003年に「きなこもち」が爆発的に売れた。これは「バラエティパック」の1つであった「きなこもち」を、セブン-イレブンのバイヤーが注目し、単品で売り出すことになり、大ヒットした。ヒットの要因としてコンビニエンスストアは、客単価下落が問題視されており、その方策とチロルチョコの単価がマッチしたと考えられる。菓子業界では10億円売れれば大ヒットとされる中、年間17億円もの売り上げを「きなこもち」は上げていた。


コンビニ事業所数・売上推移
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