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インタビュー

工事中の橋が崩落するという悲劇――新日鉄エンジニアリング・浅井信司氏(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/2 ページ)

昨年の秋、ベトナムで建設工事中の橋が崩落し、多数の死傷者を出す事故があった。ニュースでも大々的に取り上げられたので、覚えている人も多いだろう。この工事を受注したのは、新日鉄エンジニアリングで「社内ベンチャーのカリスマ」と呼ばれる人物だった。

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嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


2007年9月26日、ベトナム・カントー橋崩落の惨劇

 2007年9月26日の早朝のことだ。

 日本のODA(=政府開発援助)の一環として、大成建設、鹿島建設、新日鉄エンジニアリングが、ベトナムの南部、メコン川の支流ハウ川(Song Hau)に建設中だった「カントー橋」が崩落した。

 地上25メートルの高さから、容積2000立方メートル、重量3000トンに上るコンクリート塊や鉄筋、建設資材が、橋げたの上で作業中だった技術者・労働者(150人)の頭上に落下したのだ。ベトナム人134人の死傷者(死者54人、負傷者80人)を出す大惨事となった。

 ベトナム特有の灼熱の気候、激しい降雨で2次災害の発生が懸念される中、コンクリート塊や鉄筋の下敷きになった人々の救出は困難を極めた。また救出に成功しても現地の医療技術は決して高いと言えず、必ずしも適切な治療を行えないのが実情だった。

 しかし、そんなことは言っていられない。血まみれで絶叫する負傷者たち、すでに絶命し物言わぬ人々……日本人もベトナム人も一体となり、必死の救出作業が昼夜を問わず続けられた。現場には、生き埋め者の発見のために救助犬が導入されたほか、ベトナム政府関係者や地元カントー大学の学生たちによる献血活動が始まり、ベトナムの日本人コミュニティでも直ちに募金活動が開始された。

ODAに託された「熱く切実な想い」とは・・・?

 ベトナム南部最大の都市ホーチミン市から南方に向けて、メコンデルタの中心都市カントー市(人口約100万)へと国道1号線が走っている。幹線道路だけあって交通量も多く、まさに同国南部の大動脈といってよい。

 しかし、国道1号線の路線上に位置するハウ川には橋がなく、フェリーボートがピストン輸送によって大量の車両を渡河させるという状況だった。川を渡るトラックは1日当たり約1万台。これだけの車両が2時間かけてフェリーで橋を渡るのである。ベトナム南部の経済発展にとって、橋がないことが大きなボトルネックとなっていた。

 このボトルネックを解消すべく、日本の資金力と技術力を活用してカントーに橋を建設しよう。ベトナムの経済発展に貢献しよう――それこそが今回のカントー橋プロジェクトだったのである。

カントー市は人口約100万人。ベトナム南部の要所だ。ホーチミン市から近い。国道1号線は川の上を通っているが、橋がないために乗用車もトラックもフェリーで川を渡っていた(Google mapより)

 工事は2004年10月に着工。順調に行けば、2008年12月には開通予定だった。フランス植民地支配、第2次大戦、対仏独立戦争、ベトナム戦争……長期にわたる被支配や戦乱の歴史を克服し、ベトナムは今ようやく発展軌道に乗り始めている。それだけに、1日も早くインフラ(社会基盤)を整備し、生活を少しでも豊かにしたいという現地の人々の「願い」は切実だ。

 一方、日本サイドはどうだろう? もちろん背景には、中国へのリスク分散を目的とする日本からベトナムへの投資熱や進出熱があっただろう。しかしより長期的・大局的には、そうした途上国の経済発展のために自分たちの強みを生かして何とか力になりたいという日本人企業戦士たちの熱い“想い”が込められていた。

 それは、何もベトナムのカントー橋に限ったことではない。実は、アジアを中心に途上国に架けられたODA案件の橋には、等しくそういう「願い」や「想い」が込められているのである。

 その一例が、日本がカンボジアのプノンペン郊外に架けたチュルイチョンバー橋だ。この橋は、「日本橋」として現地の人々に長く愛され、同国の紙幣にも印刷されている。


カンボジアの紙幣に印刷されたチュルイチョンバー橋。今も現地の人々に「日本橋」と呼ばれ愛されている
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