病院死の割合増加と“植木等”の関係人生の最期(2/3 ページ)

» 2015年07月07日 15時18分 公開
[川口雅裕INSIGHT NOW!]

高齢者の死生観の変化

 この観点から見れば、日本で病院死が増えていったのは高齢者の思考、死生観が徐々に変化してきたことによるところも大きいと思われる。高齢者が、死と向き合うことを避け、死に方に対する判断を医師や家族に委ねるようになっていったのはなぜだろうか。

 「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」は、1962年にヒットした映画のセリフで、今から約53年前のことだ。現在75〜85歳の後期高齢者は当時22〜27歳の若手だから、現役時代のほとんどが“気楽な稼業”であったということになる。個人商店や自営業を営む人の割合が低下し、企業に入ることによって安定した収入を得られるようになっていった時代。日々の商売の浮き沈みや先々の不安に悩まなくてよいし、会社や上司の指示に従っていればよいので難しい決断に迫られることもなくなっていった。現役時代、自分の意思を表明したり、自分なりの判断・決断をしてこなかった(しなくてもよかった)世代であると言えるだろう。

 「モーレツ」は、1969年の流行語である。高度成長の只中、がむしゃらに働いた時代で、当時の年間総労働時間は約2300時間。現在は1800時間を切っているので、約500時間の差がある。月にすると約40時間の差であるが、昔は仕事が終わってからのノミニケーションも盛んであったので、会社に関わる時間は実際にはもっと差があるはずだ。当時は年間休日数も、今より20日ほど少ない。有給休暇の取得率を考慮すれば、1年間の休みの日数は、現在と1カ月近く差があるかもしれない。このような働きぶりでは、仕事以外の趣味や関心を持つのは難しかっただろうし、滅私奉公では人生を楽しめず、人生を自分のものとして実感できなかっただろうと思う。

 病院死は、病気や衰えに対して医師や家族の勧めに盲目的に従った結果であることが多い。どこでどのように死を迎えたいかについて意思を持つことなく、表明することなく、他人の判断に任せる。人生の終わり方、終末期の過ごし方を自分で決めることなく、医師や家族の言うことに従う。これはまさに、現役時代の“気楽な稼業”、意思表明や判断をしない姿勢に通じている。そうでないなら、人生への名残惜しさが原因かもしれない。意思表明や判断ができないというよりも、モーレツに働いてきた結果、まだ人生を楽しめていない、自分のために生きたという実感がないからかもしれない。

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