一軍登板なしの男がメジャー昇格! 村田透の“リベンジ魂”赤坂8丁目発 スポーツ246(1/4 ページ)

» 2015年07月02日 08時10分 公開
[臼北信行ITmedia]

臼北信行(うすきた・のぶゆき)氏のプロフィール:

 国内プロ野球、メジャーリーグを中心に取材活動を続けているスポーツライター。セ・パ各12球団の主力選手や米国で活躍するメジャーリーガーにこれまで何度も「体当たり」でコメントを引き出し、独自ネタを収集することをモットーとしている。

 野球以外にもサッカーや格闘技、アマチュアスポーツを含めさまざまなジャンルのスポーツ取材歴があり、WBC(2006年第1回から2013年第3回まで全大会)やサッカーW杯(1998年・フランス、2002年・日韓共催、2006年・ドイツ)、五輪(2004年アテネ、2008年北京)など数々の国際大会の取材現場へも頻繁に足を運んでいる。


日本で一軍登板がなかった村田投手が、メジャーデビューを果たした(出典:公式Twitter

 たとえ負けても強烈なインパクトを残した。クリーブランド・インディアンスの村田透投手が6月28日の敵地ボルチモア・オリオールズ戦でメジャー初昇格初登板を果たしたものの、白星をつかめなかった。ダブルヘッダーの第2試合に登板し、3回1/3を投げて2本塁打を含む4安打5失点(自責3)2奪三振1四球。味方内野陣の失策から失点する不運な流れもあったとはいえ、2者連続で本塁打を浴びるなど厳し過ぎる“メジャーの洗礼”を浴びせられた格好だ。

 それでも、試合後の敗者・村田の表情は清々しかった。日本メディアに囲まれると「早い回に降りて、先発として役目を果たせなかったのは残念です。やっぱりメジャーはマイナーと違って、甘い球は見逃さず打ってきますね。(試合前は)やってやるぞ、とそれだけでした。米国へ来て5年目……打たれたのは自分の力不足だと思っていたけれど、思っていた以上に平常心でやれたかなと思います」とコメント。負けはしたが、内心では感無量だったに違いない。

 それも、そのはずだ。自ら口にしたように村田は米国へ来て今年で5年目。2010年オフに巨人を戦力外通告となってインディアンスとマイナー契約を結び、2011年から海を渡った。インディアンス傘下の2A、3Aを行き来しながら「いつか必ずメジャーに」の夢を捨てずに声がかかるのをジッと待った。

 しかし巨人を退団した当時は25歳。日本で実績がないままのメジャー挑戦は想像を絶するイバラの道だった。右も左も分からないところで通訳もつかず、コミュニケーションすらままならない。ましてや村田が最初に加わった2Aは傘下マイナーの中でトップチームの3A以上に厳しい環境下。「他人を蹴落としてでも上を目指す」という意識の強い連中が周囲にゴロゴロいる。言葉ができない苦しみだけでなく、その上に一部のチームメートから嫌がらせを受けるなど見えないところで多くの障壁が立ちはだかっていた。

 だが、それでも村田は屈しなかった。どんなに辛くとも、苦しくとも自分からギブアップだけはしない――。それが自身の信念だからだ。こうした持ち前の真面目さと我慢強さで信念を貫き、チャンスをつかんだのである。

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