続編準備中? 少年A『絶歌』の社会的意義スピン経済の歩き方(4/5 ページ)

» 2015年06月23日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

元犯罪者の手記の多くは「本音」が語られない

天国からのラブレター』(著・本村洋、本村弥生、新潮社)

 そんなゲスいことが許されていいのかと怒りに震える方も多いだろうが、今回の論争でも「誰しも少年Aになる可能性はある。彼の言葉を受け止めるのは社会の責務だ」とか「加害者側の言論を封じては殺人と同じだ」みたいなことを主張する人たちがいることからも分かるように、世の中には元犯罪者、特に常人では計り知れぬような凶行に及んだものの、語ることに「社会的意義」を見出そうという人が一定数いる。

2002年、ロサンゼルスの空港でエジプト人の元軍人(41)と17歳の少年が銃を乱射して、なんの罪もない人々を殺めた。政治テロでもないし動機もみえない。そこで「犯罪発生の背景を理解」するために、CNNはキャスターのラリー・キングに過去13人を無差別に殺しまくって懲役350年をくらった「伝説の異常犯罪者」にインタビューをさせた。やっていることは太田出版とそんなに変わらないが、こちらは「遺族の気持ちを考えたら不謹慎だ」などと批判する声は少なく、番組は高視聴率をマークした。

 時の人気司会者とにこやかに語り合ったのは、デビッド・バーコウィッツ。『絶歌』騒動で日本にも早くつくるべきだと言われる「サムの息子法」のきっかけとなった人物だ。出版で金儲けさせるのは被害者遺族に悪いが、大義名分さえあれば「人殺し」が何を語るのかを聞いてみたい、という好奇心を抱く人々が多いということを証明したわけだ。

 実際に『絶歌』もよく売れている。彼が医療少年院にいる間も、「元少年A」や「サカキバラ」について論じる本や雑誌はそれなりに売れた。なかには彼を「天才」ともてはやすような論調もあった。こういう“ニーズ”を受けて、元少年Aが「オレってもしかして特別な才能があるのかも」と勘違いをしてしまった、ということは十分考えられる。

 ただ、だからといって彼の創作活動に、太田出版や一部の方たちが主張をされるような、「少年犯罪発生の背景を理解して、未然に防ぐ」とかいう社会的意義があるという主張は正直、受け入れ難い。

 『絶歌』が典型的だが、元犯罪者の手記の多くは「本音」が語られない。そんなことをしてもなんのメリットもないからだ。酷い者になると、自分に都合のいい物語へ“改ざん”することもある。もしも加害者になりそうな少年がいたとして、そんな手記を読んで何か役に立つのか。見苦しいほどの自己愛と強烈な被害者意識で埋めつくされたポエムを読んで凶悪犯罪に踏み止まるとは到底思えない。社会復帰の難しさがリアルに描かれているというが、それも意味はない。例えばナイフで小動物を殺す子どもに、「少年Aのようになりたくないだろ」と諭したところで、その子どもは「なぜ人を殺してはいけないのか」を理解できないだろう。

 どうしても何かを読ませたいのなら、被害者の手記を与えればいい。最愛の妻子を少年に殺された本村洋さんの手記『天国からのラブレター』や『なぜ君は絶望と闘えたのか』(いずれも新潮社)で、愛する者を奪われた側がどれほどの地獄の苦しみを味あうのかを教えてやるべきではないのか。

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