なぜ亀田3兄弟は毛嫌いされるのか赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2015年05月21日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

メディアが描いていたシナリオ

 ここまでは確かにメディア側が描いていたシナリオ通りに事は運んでいた。それなりに亀田人気(というよりも正確には「話題性」と評したほうがいいかもしれない)が高まり、興毅は2006年8月2日、ついに元WBA世界ミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとのWBA世界ライトフライ級王座決定戦に臨むことになる。もしこの初の世界タイトルマッチで興毅が文句なしの強さを見せつけることができていれば、今の「亀田3兄弟=ヒール」の図式は成り立っていなかったかもしれない。

 だが、ここで興毅は「疑惑の判定」「ホームタウンディシジョン(ホーム側に有利なようにみえる判定)」と見られても仕方のないような“怪しい結果”で勝ち名乗りを受ける。2度のダウンを奪われるなど終始苦しんだ末に2―1で辛くも判定勝ち。悲願の世界タイトルを腰に巻き、リング上で涙ながらに絶叫する新王者に場内のファンが「イカサマ野郎」「金返せ」などと罵声を浴びせ続けるという異常なシーンは当時現場で取材していた筆者の脳裏にもいまだ鮮明に焼き付いている。

 「興毅がいわゆる“しょっぱい試合”をしてしまったことで、これまで演じ続けてきたコワモテキャラが虚像であったと図らずも見られるようになってしまった。メッキがはがれてしまったのです。その後、興毅はランダエタと再戦しましたが、ポイント稼ぎの意図が見え隠れするアウトボクシングに終始しての判定勝利。“デカいのは口先と態度だけ”というイメージが、ここで完全にでき上がり、ファンの間に根付いてしまった。それは我々メディア側が描いていたシナリオが音を立てて崩れ去った瞬間でもありました」(前出の関係者)

 3兄弟のイメージを下げたのは興毅だけではなかった。次男の大毅も2007年10月11日、WBC世界フライ級王者・内藤大助に挑戦したものの、陣営の兄・興毅と父・史郎氏の指示を受けながら試合中に度重なる反則攻撃を仕掛けた上に内容でも終始圧倒されて惨敗。こうした経緯が重なったことが決定打となって世間は、3兄弟と父・史郎氏の亀田一家に「悪」のレッテルを張り、今でも3兄弟の一挙一動にバッシングの嵐を浴びせ続けている。

 ちなみに亀田一家をめぐるトラブルは枚挙に暇(いとま)がなく、現在も絶えていない。2014年12月に行われた亀田大毅のIBF、WBA両世界スーパーフライ級統一戦でIBFの立会人が「負けたら空位」から「負けても防衛」と発言を一転させてボクシング界に大混乱をもたらしたとして、JBC(日本ボクシングコミッション)は3兄弟の所属する亀田ジム・吉井慎次会長と嶋聡マネージャーが職務を全うしていなかったとして、各種ライセンスの更新を許可しない処分を下した。これにより、3兄弟の国内ボクサーライセンスも失効となっており、現在も日本で試合ができない状況が続いている。3兄弟が海外でしかリングに立てないのは、それが理由だ。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.