なぜ亀田3兄弟は毛嫌いされるのか赤坂8丁目発 スポーツ246(2/4 ページ)

» 2015年05月21日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

亀田3兄弟が嫌われるワケ

 一体なぜ亀田3兄弟はここまで毛嫌いされるのか。その背景を探ってみると、実はメディアによって作られたレールに喜んで乗っかったものの脱線してしまい、大きな墓穴を掘ってしまった亀田一家の悲哀が浮かび上がってくる。

 そもそも亀田3兄弟のネーミングが世に浸透するようになり始めたのは、2003年11月。長兄・興毅が17歳でプロボクサーとなり、これによって父・史郎氏からボクシングの熱血指導を受け続けている3兄弟の存在がメディアによって一躍脚光を浴びるようになってからである。

 そしてアマチュア時代から3兄弟に密着するなどいち早く目を付けていた某民放局が亀田陣営と交渉して興毅の試合の独占中継権を得るようになると、テレビ中継の影響に後押しされる形で「亀田一家」に関する報道も一層過熱。同局の関係者を筆頭に新聞・テレビなど各社を含めたメディア側は「そのほうが絶対に面白いし、万人受けするから」として3兄弟に対し、段々と際立った個性的なキャラクターを要求するようになっていった。当時“亀田番”を務めていた前出の民放局とは別のテレビ局関係者は次のように言う。

 「もともと息子たちに対する史郎氏のボクシング指導の内容がスパルタ方式だったから、それをベースにした高慢なコワモテキャラになることを我々メディア側は3兄弟に求めた。だから当時、3兄弟の中で露出度の一番高かった興毅には対戦相手をコキ下ろさせたり、自分こそがナンバーワンなんだという発言を口にさせたりするための“誘導質問”を我々は取材で何度も繰り返したのです。

 興毅も相手をリスペクトしない性格の持ち主であったから喜んでそういうキャラになってコメントしていましたよ。大毅や和毅もメディアの前で長兄と同じキャラになっていましたが、基本的に興毅と同じ性格だったから完全にノリノリのオーバーアクションで“ワル”ぶりを演じていましたね」

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