トヨタの戦略は正解なのか――今改めて80年代バブル&パイクカーを振り返る池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/3 ページ)

» 2015年05月18日 08時20分 公開
[池田直渡ITmedia]
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デザインの合理性

 デザインとは言うまでもなく創造的活動だ。モノを作り生み出すチャンスを与えられた時、先行する誰かのモノマネをするクリエーターはいまい。歌手が隠し芸で誰かのモノマネをすることはあっても、自分のオリジナル曲としてモノマネでレコーディングしたら表現者として終わりであるように、デザイナーにしてみれば、コピーとは魂を売り渡す行為なのだ。

 しかも、一連のパイクカーが使ったモチーフは、当時から見ても20年以上も前の技術を背景にしたデザインだ。例えば空力性能という評価軸は60年代には無いに等しいが、80年代には当たり前にある。サスペンションもエンジンもタイヤの性能も20年分違う。デザインとは機能を形にする作業だから、少なくとも技術が進歩した分は違わないとおかしい。それを無視して「見た目」をコピーして20年前の形にしてしまう行為に蓋然(がいぜん)性はカケラもなかったのだ。

 特にBe-1、パオ、フィガロの3台は初代マーチ(1982年発売)をベースにしている。この初代マーチのデザイナーは、巨星ジョルジェット・ジウジアーロだ。ジウジアーロは、初代フォルクスワーゲン・ゴルフのデザインで石油ショック後の経済的なクルマの形を示唆し、自動車デザインに革命を起こした天才デザイナーである。その重鎮・ジウジアーロが1980年代のコンパクトカーとして熟慮した合理的デザインをひっぺがして、1959年にデビューしたミニのコピーデザインに着せ替えるという暴挙は、普通に考えて明らかに常軌を逸していた。

初代「マーチ」

 しかし日産は決してコピーばかりをやっていたわけではない。例えばほぼ同時期にモーターショーに出品された「プリメーラX」は、まさに90年代を先取りした正調デザインだった。ゴルフに端を発したFF車ならではのこのデザインは、メカニズムをフロント部に集約することで室内空間を最大化するという、理にかなった正義があった。

 この合理的なデザインは少しずつサイズの大きいクルマへと波及していったが、なかなか成功しなかった。その最大の理由は、鼻先が短くなるとどうしても高級感が失われるためだ。かつて長いボンネットは、その中に高級な多気筒エンジンが収まっていることを誇示する役目があり、逆に短いボンネットはそこに収まるエンジンが安物であることの証明でもあった。Cセグメントのゴルフではミニマリズムという知性に基づいた潔い合理性と高評価を受けたパッケージも、クラスを上に拡大していく時、そのまま拡大コピーというわけにはいかなかったのである。

 しかし、Dセグメントに新時代の高効率パッケージを与えるためにはどうしても短いボンネットにせざるを得ない。プリメーラXは「キャブフォワード(客室前進)コンセプト」を掲げて、ショートノーズデザインをDセグメントにふさわしい形に消化するという課題に挑み、その成果として初代プリメーラはクリーンで合理的なパッケージでありながら、Dセグメントらしいグレード感を持つ事ができた。ドイツ車のような硬いサスペンションとハンドリングばかりがフォーカスされたが、プリメーラはそのパッケージでも、新たな時代に踏み出していたのだ。

「プリメーラX」

進化の袋小路

 しかし、それは合理的で正調であったが故に、時代を覆すエネルギーに欠けていた。実は合理主義デザインの発祥地である欧州では、予想に反して日産の一連のパイクカーがデザイナーたちに衝撃を与えていたのだ。

 切磋琢磨して技術を競えば、機械の構成はどこの会社でも概して似通った形になる。そこでデザインが合理性に依拠すればするほど、同じようなものになる。最適であるが故に進化の袋小路が迫っていた。真面目な開発の限界を迎えていたのだ。巨匠ジウジアーロの手になるマーチですら、ゴルフのパッケージのアレンジという以上の目覚ましい進歩を見いだせるものにはなっていなかったのである。

 そこに突然降って湧いたパイクカーのレトロデザインは、「デザインはエンジニアリングに寄り添う」という常識を覆し「形はただ形として存在していい」という破壊的飛躍を示していた。

 ご存知の通り、クルマの商品力の多くはデザインが担保している。そのデザインが飛躍する事でクルマという商品の可能性は飛躍的に広がる。日本では筆者を含む多くの人間がバカにしていたパイクカーが、その時密かに世界の自動車デザインに変革をもたらしていたのだ。

 クルマのデザインはエンターテインメントで良いのだという新解釈は、新しいジャンルを拓いた。当時の合理性デザインの家元であるフォルクスワーゲンは、喜々としてかつてのType1(通称ビートル)を模した「ニュービートル」を作った。RRエンジンレイアウトを安価で実用的なクルマに結実させた論理的デザインが、理屈を全部放り投げてFFのゴルフのシャシーに乗せられ、ファニーな遊びグルマが誕生した。

 フィアットからはかつてのヌオーバ・チンクエチェントを模したフィアット500が現れた。これもRRのパッケージをFFシャシーに被せている。ローバーはBMWに買収され、ミニだけがブランドとして手元に残された。そしてBMW傘下のブランドとして、かつてのデザインを自らなぞるような新しいミニが発売された。フォードはマスタングをメカニズムの一部まで含めてセルフコピーした。そしてこれ以外にも、多くのクルマのディティールには往年の名車のモチーフを本歌取りしたデザインが用いられるようになっていった。その一方、ただ日本のメーカーだけがなぜか勝手に反省し、合理主義に回帰していったのである。

「スゴイこと」「面白いこと」の価値

 パイクカーを作った人達の中に、はたしてこれがデザインの破壊と創造につながるという自覚があったかと言えば、無かったと思う。バブルという時代を呼吸していた筆者にはそれが何となく分かる。あの頃の日本に、「リスクを避ける」というメンタリティはほとんど無かった。作ったものが売れないことは別に問題ではなかった。売れるかどうかなどよりも、「スゴイこと」「面白いこと」であることの方がむしろはるかに重要だった。誰もやったことがない、めちゃくちゃなことをやって輝きさえすれば、別に儲からなくても良かったのだ。

 そういう時代に、ある種の「バカなお遊び」としてパイクカーは生まれ、「軽チャー」な時代背景の中で刹那のヒットとなり、遊びとして消えていくはずの企画だったのである。まさかそれが新しいデザインジャンルを生むとは誰も思ってはいなかったはずだ。

 あの頃みんなが利口で合理的だったら、2015年の自動車の風景は異なるものになっていた可能性が高い。バカバカしい遊びや、無駄な徒花が変革をもたらすという現実を前にすると、計画経済的なビジョンはあまりにも線が細い。

 だから、バカなことをすべき……とは、とても言えない。そういう冗長なプロジェクトの積み重ねによって日産は倒産の瀬戸際まで追い込まれ、Mr.コストカッターことカルロス・ゴーンの剛腕経営でかろうじて息を吹き返した。あのまま倒れていても不思議のないところまでいったのである。

 だから、バランスこそが大事なのである……ともとても言えない。織り込むべき冗長性などという計算ができるなら、それはもう合理性の範疇(はんちゅう)である。そういう合理性ではできない飛躍があるから、合理性には限界があるという話をこれだけ文字を費やして書いてきたのだ。

 だから、筆者にも分からない。ただ、合理性だけではダメな気がする。いや、ダメだろう。「かつてこんな話があったんだ」、それを伝えることだけが、かろうじて筆者ができることだ。モジュール戦略がもたらすものは、理知的発展なのか、進化の袋小路なのか。その結果が出るまで、あと何年かかるのだろうか?

筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)

 1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。

 現在は編集プロダクション、グラニテを設立し、自動車評論家沢村慎太朗と森慶太による自動車メールマガジン「モータージャーナル」を運営中。

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